夢で逢いましょう

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作家プロフィール
北澤尚子(きたざわ・なおこ)

イラストレーター、コラージュ、オブジェ作家。東京都武蔵野市の出身。大学で油彩を専攻ののち、デザイン事務所勤務等を経てフリーのイラストレーターとなり、'80年代は雑誌、広告等のメディアを中心に主に映画をモチーフとした緻密なイラストを発表。'90年代以降はコラージュ、アッサンブラージュ制作等、表現の幅をさらに広げて、「映画の夢・物語の夢」の世界を表現し続けている。(本データは1998年に開催の個展、『夢幻電影館/昨夜星光燦爛』のパンフレットに掲載されていたものです)

 2016.3.8.
 きのう。
 そろそろもう、DVDになっていたっていい頃ではないか、とアマゾンをのぞいて見たら、『名探偵ポワロ』の最終シリーズはやはりボックス・セットになっていた。でも出たのは一四年、つまりおととしの暮れで、そろそろどころの話ではない、疾うの昔になのだった。こはいかに。日に三時間近くはネットを使い、その大半を検索に費やしながら、この件での検索はそんなにもしないでいたか、して出たのは確認して忘れているか? どっちにしてもまさかでしょうと言いたいが、そのどちらかなのには違いない。
 年々歳々、月日の経つ速度は早くなり、物忘れの度は進む。この調子だと残る月日も夢のうち──と思うのに、無聊の時間に限っていえば、昔よりも長くて過ぎにくい。目新しい仕事、友達との長話、まだ落ちたばかりの恋。「人生の賑やかし」みたいなものが降るようにあったのっていつ頃までだった? と指折り数えれば、もう二十年は前の話だ。
 そんな頃のいつだったかに、
「ときめく時間って、心のバンドエイドよね。ときどきでもあるとは思うから、生きてもいけるっていう」
 長い溜息とともに、泰子さんが言ったりしたっけなと思うけれども、私用には、彼女の好みよりは軽いもの、ときめくのとほのぼののあいだぐらいのものがいい。といってもまあ、今は、その程度のものさえも都合するのが難しい。古い友達と心ゆくまでおしゃべりをと思ってみても、泰子さんは亡くなってすでに十余年。死んではいない女友達もここのところは介護で忙しく、似た商売の男友達はいずこも不景気で飲む金がない。
 こっちだって景気はよくないし、もともとそうなかった体力は今はさらにない。芝居は高い、映画館まで行くのは大儀だしとなると、手頃なのはDVDあたり。それもこういう、長いテレビのシリーズ物なんかがいいが、いい出来のものは滅多にはない。だから、このシリーズはどの巻も一度は出るたびに買い、これも全巻を買ったグラナダ版ホームズ同様、前半だけを手許に残して、交互にときどきまた見てもいる。
 ホームズは無論、ジェレミー・ブレットがまだ元気な頃の方がいいし、ポワロはミス・レモンだの、ジャップ警部だのが出てきていた時分の方がいい。少なくともバンドエイドとしての性能はよく、弱った心の皮膚に優しく、複数回の使用にもよく耐えていい。
 いかにもその時代のその国らしいという気のする細部、殺人でもそう暗くはならない事件、いつもの部屋におなじみの面々、例の大団円。面々の言動もいつもいかにもそれらしく、でもあんまり癖はない。つまり、いろいろの兼ね合いが八までのシリーズではほんとうにちょうどいいのだが、九からあとは脚色、演出ともに前よりはシリアスな分、ほのぼの度が以前よりも低い(新たなレギュラー二人にしても、執事のジョージはヒトというよりは住居の機能の一部に近く、ミセス・オリヴァのキャラクターはやや鬱陶しい)。
 でもまあ、そこは好みの問題で、出来自体は悪くなく、このボックスもレビューではずいぶん評判がいい。旧レギュラー勢揃い、と書かれていた二話と、何人かが絶賛する三話はできれば見たい。
 でも最終話はできれば見ないでいたい。だって、ポワロが死ぬのだからね。一度でも見たら、もっと前のエピソードを見ていてさえも、でも死ぬのよね、この人もとつい思い、
(前々世紀の人なんだから、どう長生きしてみても、絶対もうこの世にはいないわけだから──ではなくて、そもそも初めっからいもしない人なわけだから)
 一々、しょうもないことを思い直しては、気をとり直す手間がいりそうではないか。
 とはいえ、二話と三話はやっぱり見てみたい。見終えたらまた、アマゾンの中古マーケットにでも出せばいい。このシリーズはすぐにいい値で売れるから、差し引き、さほどの出費ではない。同じ買うなら、大幅値引き中の今ではとは考えながら珍しく決めかねている。
 決断力低下って、もしかして老化の兆候?

 3.11.
 雨、または曇り続きで肌寒い数日。きのうは夜から小雨、今日も昼までは小雨。
 ゆうべ、ゴミを出しに出てみたら、濡れた土と花の匂いがした。花は沈丁花と梅のたぶん白の方。顎を上げてしばらく嗅ぐうちに、肩甲骨のあたりで動く気配がちょっとした。ばさ、ばさとはばたきたがる、小さな──キューピーの肩のうしろの程度の羽の気配。さあ、何年ぶりだったろう、ああいうのって。
 五十前後の頃までは、春の夜の匂いがするごとに同じ動きを感じたものだった。そのたびによく、新しい恋にも落ちた、シーズンの鳥のように。さすがにもう恋もないだろうが、せめてとでもいうことだったのか、似た気分の夢は見た。
 私は、ビルの二階の画廊の中にいる。遺跡のように古い古いビル。並ぶ箱型のオブジェを眺めていると、男が来て記帳する。肩先の尖った小柄な男、痩せた男で、私と近い年、といったって私は今の私よりはずいぶん若い(せいぜい、四十代ぐらい)。各々見てまわっているうちに、以心伝心、意馬心猿の雰囲気になって、二人で画廊から出る。廊下をめぐり、慌ただしく物色してみても、適当な場所はなくて、次回こそ、という感じで揃って画廊に戻ったところで醒めた。
 醒めてからも甘美なような、切ないような気分がしばらくは湯のように残っていた。夢の男と逢う夢のあとって、たいていそうだ。夢の男たちはいつも、ひどくわかりやすく私を好きで、ほどよく世慣れていて気配がもの優しい。ほんとうにいた、もっと薄情でぎこちなかった男たちにしても、夢の男になって出てくればそこは同じで、夢の私だって、
(気にも入るわねえ、これだけよくしてやれば)
 などとは思いもしない、という、それこそ夢のような恋だもの、甘美なのも醒めれば切ないのも当然のこと。それに、いた男になら夢では再会する可能性もあるが(実際、どの男ともときどきは逢うが)、夢でしか知らない男になんか、もう絶対に逢えない。次回の夢の素になるデータ、「彼」に関する記憶のファイルは存在していないのだから。
 とはいえ、今朝の夢の男にはなぜか名があった。芳名帳の右のページに書かれた字を私は見たし、目が醒めてからも忘れなかった。珍しい、というよりは初めてのことだけれども、その名前──原田清人もハラダもキヨトも知った人の中にはいない。だれか有名人? と思っても、そんな人も記憶にはないから、由来は知らない。
 でもまあ、それはいい。夢の原田さんといて、私は久しぶりにときめいた。着たものがかすかに触れるかどうか、という程度の距離で並んで、ただ歩いただけなのに、へたにもっとなにかをしたのよりもセクシーだった。私の体って、まだああいうのを憶えているわけなのねと思い、よかった、使えるデータをそれなりにはストックしておいて、と思ったら得をしたみたいな気分になった。
 ある年齢を過ぎたら、過去の人生の残り火か余熱を使って生きていくもの。だから無理はしないのよ、火種は少ーしずつ使うのよ、と人は言う。
(でも積もれば記憶だって枯葉のように、堆肥熱に似たものを新たに生むのかもしれないじゃない? こんな風にして)
 とも私は思い、また嬉しくなってしまう。それをこそ、人生の余熱と呼ぶのです、と言われればあえて反対するつもりはないが。

 ところで、箱のオブジェということは、夢の個展の素はコーネル展? 銀座あたりの古いビル、という設定からしてみると、私の昔の個展? たとえば『夢幻電影館』だとか、『胡桃の中の映画館』だとか──それともその全部のごった混ぜ? 
 そしてやっぱり、あの名前の素ってだれなんだというか、一体、なんだったんだ。

 3.12.
 今日も雨、終日の雨。
 灯を消して布団の中にもぐり込み、寝よう、という体勢になった途端に、ゆうべの夢の中でいた場所をふっと思い出す。思い出すというか、今その場所にいるような体の感じになるというのか。脳のどんな必要と仕組が起こすのだろうか、あの現象は。だれでもがよく感じることなのか、ではないのか知らないが、私は結構よく思い出し、そのたびごとに、
(今日ときのうは、ほんとに一続きのものらしい)
 としみじみと思えてほっとしたりする。
 ゆうべもだった。やはり銀座のビルだった、とそれではっきりと思った。
(今もあるかしら、まさかだけれど)
 ともつい思ってしまい、つい起きて出て検索したら、まだあったからかなり驚いた。九八年の時点でだって、まだあるのが不思議なほど古かったのだ、あのビルは。
 冗談半分で原田清人も検索してみたら、その名前の俳優がすぐに出てきたからまた驚いた。ウィキペディアには、「舞台俳優。脇役としてテレビにも多数出演」とはあるものの、出演作の長いリストには見たと思われるものはなにもなく、写真の印象だけからいえば、好みからもほど遠い。でも変わった名ではないのだから、
(ただの、偶然の一致でしょうね)
 ほとんどそう決めかけたあとでまたまた驚いた。洋画の吹き替えリスト(それも二本だけ)のうちの一つが、『血と怒りの河』だった。しかもブルーの役──そのかみの、私の最愛の映画の一つの中の、あの最愛の役ではないか。

 夢の素らしいビルの画廊での初めての個展のために、私はいくつもの映画の箱を作った。『血と怒りの河』の箱も作り、「実は絵をたしなんでいた、ドク・モートンが描いた」という設定のブルーのデッサン、その他諸々のブルー・グッズを作りまくった。まだパソコンなんかなかったから、「米墨戦争の時代に鉛筆があったかどうか」なんていうのも図書館まで行って調べた。そうだった、「ドクの家に落ち着いた頃のブルー」のいい写真もなくて、はるばる、大宅壮一文庫にまで行った。あの映画はビデオにはならなかったから、頼るのは記憶と切り抜き、古本屋と図書館以外なかったのだ。今なら、どんなショットもDVDから取り放題なのだけれども。
 取り込んだって、今は著作権がどうの、肖像権がどうのこうのとうるさくて、まず使えないけれども。
 そもそも、ああいう個展自体が今ではできる気がしない。この件についての権利はだれにあってどこに連絡をすればいいのか、ただか、いくらかかるか。一々調べては手配するだけでも面倒なうえ、著作権的にはいかがなものか、などといいたがる外野、それをまたネットにあれこれ書く外野も多そうで、面倒くさい。もう、映画スターのポートレートも迂闊に描けはしない。つまらないといったらない。
 まあ愚痴はいい。ごくマイナーな映画だったのに、箱もドクの絵も初日に売れた。買ったおじさんのうちの一人とは、いかにいい、いかに評価をされていない映画であるかについて、もう一人とは、「スタア」の表紙の伊藤龍雄の似顔絵がいかに良かったかについて、やや熱く語り合った、
(いや、楽しかった……)
 いろいろと思い出し、目が冴えてしまって大遅寝、起きたら目の下に隈。今日中のつもりでいた三毛の絵だって、スキャン、加工までをいれたら仕上がりそうにない。年なんだしね? 今後、夜更かしは厳禁のこと。
 と書きながら今思ったのだけれど、あの名はあのビル、あの個展、あの映画つながりで記憶のどこかから引き出されてきたのかも──たとえば、テレビ番組表あたりを見たとも思わずに見て、脳のどこかにはひっかかっていたりした、というような話なのかも。

 3.15.
 一週間ぶりでのようやくの晴れ、ようやくのラグとシーツの洗濯。
 初夏並みの今日の高温で、桜の蕾も一気にふくらみそうだ。この分だと再来週の末あたりが見頃なのでは、といったって、花見らしい花見の予定はとくにない。この七、八年、そんなこともとりたててはもうしていない。散歩のついでに近所の木を見て歩き、ことにいい桜があれば、足を止めて下から振り仰ぐ。空の奥へと重なり合う枝は、目の中でまた別の春、別のところで見た桜と重なり合ってさらに美しく、しばらく見入っては、ああ……と溜息をつく(ことに夕桜、夜桜を見上げたときによくつく)。今はもうそれで十分。
 なんていうのは、案外酸っぱい葡萄の類で、近辺に今、綺麗ねえ、としみじみ言い合いたい相手の一人もいれば、全然違うことを思うのかもしれないけれど。
 そしてまた、ときどきふと思うのだけれども、私が桜を初めて見たのはいつのことなのだろうか?
 小学校に上がる頃植えたと聞いた庭の桜の木の下ではままごとをした。二年の春の花の時期だった、花も名ももう知っていた。その記憶ならあるのに、これが桜だと初めて聞かされた記憶、わあ、綺麗、と思った記憶の方はない。大体、子供の頃にとくに感心して桜を見た記憶がない。
 花自体は好きで、地べたにしゃがみ込んでよく見入っていたものだった。臙脂の模様が芯に少し入ったシバザクラ、白地の上に細い紫の縞が入ったツボスミレ。わくわくしながら見たのはそんな小花の、ことに細部だった。そう、私の視野は今よりもいくらか狭く、目は地面にずいぶん近かった。たぶんそのせいで、正しく桜を愛でるには、ある程度の視野と身の丈、少なくとも木を一望にはできる程度の体の成熟が必要なのだ、おそらくは。
 条件がやっと整い始めた時分には、私は絵葉書の、あるいはカレンダーの写真なんかの、雪を頂いた富士とあくまで青い空、プラス、満開の桜の類いを散々見せられていた。けっ、陳腐、と思い込んで横目で何年か見て、さらに何回分かの春を損した。今思ったら惜しいことだった。

 あした、雨でなければ中野にまで出て購入すべきもの。
 産地がなるべくましなキャベツと香菜、ナンプラーか、もしあればニョクマム。
 その行きに済ませるべきことは、宅配便発送と借りたDVD返却、帰りにはビール少々の購入。

 3.17
 きのう。
 タイ風・鶏とキャベツと香菜のサラダを仕込んでいたら、電話が鳴った。田村です、二Bのとかすかに聞き覚えのある声が名乗って、
「残念なお知らせなんだけど、きのう、木下君が亡くなって。肝臓癌で、わかったときにはもう手遅れでしたって。──連絡のつく人はいる? だれか」
「いないに近いけど、そうね、三好君ぐらいだったら」
「じゃ、そっちには連絡お願いね」
 そして、淋しいわねえ、ねえ、こうしてだんだんね、と言い言いして切った。彼で四人目。その四人のうちではよく知っていた「男の子」だった、一度は三好君と三人で花見にも行ったぐらいに。

 あれは卒業した年の四月半ばの午後だった。二人から声がかかって、読書会を始めよう、という話になぜだかなった、その打ち合わせを兼ねて、というのが名目で、
「明日はどう? 花見かたがたで、車で多磨霊園で。木下も来る。何時ならOK? 君の家まで迎えに行くからさ」
 そんな電話を三好君がかけてよこして、翌日の二時にほんとうにきた。
 何日かの好天、高温のあとの寒い日で、朝から空は雨もよいだった。下りないままで園内をしばらく走り、人気の少ない区域で停めた。白いカローラから出て見上げると、空一面が鈍い銀色に光って見えた。桜も似たような色、古い一円玉の色。景色の全体が鈍い銀色の濃淡のようで、風が吹くと、銀の箔が触れ合う音がシャラシャラ、としてきそうだった。
 桜があんなにゴージャスな、あんなにこわい花だというのはあのときに初めて知った(ちゃんと見た方の「初めて」だったら、記憶にもこうしてちゃんとあるのだ)。
 真下から見上げ、地面に近い枝から遠い枝へと順々に目で追ううちに、体ごと空の奥へと落ちていく気がすることも、私は、同じときに初めて知った。
 そう、あれはひどく開花の遅い年、妙な気候の年だった。三月には記録的な大雪が二回も降った。車を出たらすぐに降り始めた雨は、次の朝には雪に変わって、降雪時期の遅さでの新記録を打ち立てた、
(たしかそのはずで、)
 と検索してみたらすぐにいついつと日までわかった。翌日の雪が十七日だったのだから、花見は十六日で、曜日は水曜。最高気温は前日よりも十度下って十六度、降り始めは午後三時。ふっふっふ、とさらに検索してみればその年の開花は四月の六日、満開の方は十日。妙に人気がなかったのは平日なのと、さすがに盛りを過ぎていたせい。アルミの色に見えたのは褪せていたせい──なんて、辻褄が一々合い過ぎて、かえってほんとうではないような気がしてきそうなぐらい。

 ああ、そうだった……。
 行きと帰りのほぼ大半、私は後部座席で、二人はそっちのけで文庫本に読み入っていた。母のお薦めのモーリヤックの二冊目で、『夜の終り』だった。母が推す『愛の沙漠』より、名作と世に名の高い『テレーズ・デスケルゥ』よりも、これはなぜか私の気に入った。かなり長いこと、特別のお気に入りの一つだったが、読むのはあれが初回で、前夜遅くに読み出したらもうそのまんま、目が離せないままでいたのだ。
 なんと惜しいことを、とあとになって思い、またときどきは、過ぎた黄金時代の最後の日々だったとでもいうようにひどく懐かしんでもみたりした。三好君への、私の長い長い片思いが始まったのは、同じ年の夏頃からだったのだから。

 From : 三好弘
 Subject : Re : ご無沙汰しています
 Date : 2016.3.17 06:09:42:JST
 To : 北澤尚子

 尚子さん
 木下隆史君に合掌。弔電の送り先、同窓会としての動き等、わかりましたらお知らせください。
 ところで、あなたは、いったいどうしておられたのやら、何度も連絡を取ろうとしていたのです。
 案じていたのです。
                           三好弘

 From : 北澤尚子
 Subject : お尋ねのその後の状況
 Date : 2016.3.18 11:02:11:JST
 To : 三好弘

 三好君
 心配していてくれてどうもありがとう。たしかにおととしまた転居しましたけど、住所、お知らせしませんでしたっけ? 
 そのおととしから去年にかけては転居に加え、私も似た病気(でも場所はべつ)で手術。ややばたばたとした日々でした。たちはさほど悪くもなさそうとのことで、術後はさっさと退院。今はとくに気にもせずに過ごしています。

 そちらは、お変わりなくお元気でいらっしゃいますか。あなたのことだから、例によって元気でいるとは思うけど。
                            北澤

 From : 三好弘
 Subject : あなたの体調は?
 Date : 2016.3.19 9:58:03:JST
 To : 北澤尚子

 入院、手術だったとは……。知らなかった。もうかなり経つらしいが、その後のあなたの体調は如何なりや? 
 今年は六月に、もしかすると短い期間、東京に行くかも知れません。その時は、超・遅ればせのあなたの快気祝いをしよう。
                           三好弘

 From : 北澤尚子
 Subject : Re : あなたの体調は?
 Date : 2016.3.19 20:02:11:JST
 To : 三好弘

 うん、そうね。もし会えたらそのときはおたがいの無事に乾杯! といきましょう。
                            北澤

 3.19
 おとといの夜、というよりはきのうの未明に、バタン、と押入の中で音がした。半分まだ寝たまんま、なにかタマが倒したかと思い、ああ、もういないのだったと気がついた。それで目が醒めた。起きて押入の中をのぞいたが、異状はないようだから、二階かもと思って寝直した。八時頃に今度は雨の音で醒めて、ストーブをつけていてあらと気がついた。二階は今空き部屋なのだった。少し念入りにまたチェックをしてみたが、異状はやはりない。まさかの鼠か、あれも夢か、
(たとえば夢の猫の運動会だったんだとか)
 といったってタマもどの猫も夢に出てきたことはない。猫や犬って、死ぬとわりに速やかに「歴代の犬猫全般」のファイルに入っていくようで、一匹、一匹の輪郭は意外なほど早めにぼやけていってしまう。ヒトほどは個性の差が大きくないからか、じつは、そう大した猫好きでもないからなのか?
 どうだとしたってまだ二月とは経たないわけなのだもの、あの錯覚のあとにはなにかがらんとした気持になってしまった。どういうか、今寝ているこの背中の下は「薄暗い宇宙」であると不意に気がついた──とでもいうような。
 恋が終れば次の恋、猫が死んだら、また次の猫。ずいぶん昔にそう思い決め、その通りにしてここまで来はしたものの、さあ、どうしたものだろう? これから先は。
 最後から二匹目の予定のタマは超長寿だった。最後から二つめの予定の恋にもやや時間をかけ過ぎて、事実上もう、どっちも最後のになりつつあってそれでべつにいい。そのつもりで普段はいるけれど、ときどき揺れる。超長寿かも知れないじゃない、私だって、
(テレサ・テンだって、思い出だけでは生きていけない、と歌っていたじゃない?)
 なんていうように。きのうの朝のように。

 3.21.
 曇り後雨。今月はもう半分近く雨。
 今朝方もまた、押入で物音がした。そう大きな音ではなかったが、なにかがたしかに中にいるという気がして戸を引き開けた。男がいた。壁にもたれる形で立っていて、目が合ったら銃口をこっちに向けた、というよりは、向けようとした、と言った方が正確かしら? 腕はすぐにだらりと下り、ドタン、と、体ごと床に倒れ込んだのだったから。
 どこの床にって、夢のテキサスの、夢のドク・モートンの家の床の上にで、倒れたのはもちろん夢のブルー、または、アズールなのだった。
 あはは! 昔から、都合のいい夢ばかりを見るたちなのだ。よく夢の空を飛んだ、馬に跨って思うさま野山も駆けた。え? 性的な意味なんかない。あれはロマンよ、ロマンなのよ。そう言い張ってはきていたものの、五十を過ぎたらそんな夢もほとんど見ないから、案外、人の言う通りのことだったかも、と最近では思う。
 昔いた町には今でも帰るけれども、飛ぶことはなく、ただ歩く。いつのまにか会わなくなった人、死んでいった人たちともこの頃は会う。そして、今日ときのうが、今日といくつもの過去の時間のあいだが水に似たもので満たされ、記憶は夢の中で修復されていく。都合のいいように。

 それにしても今朝の夢でも、なんとまあ、と言いたくなるほどいい場面のセレクトだった。いや、映画としてならほかにももっと選ぶべき場面はあるのだけれど、あの場面での出来事──傷ついたいい男がやってきて目の前で倒れてくれる──って、思いのままになる・いい男のデリバリーのようではないか。しかも、相手は少し前に命を助けてくれた男だから、嬉しくてもう、
(笑いが止まりません)
 とでもいうところ、でもあんなに顔かたちをはっきり見た(気がした)夢もちょっと珍しい。まあ、たしかに、テレンス・スタンプが一番綺麗だった年頃の映画ではある。頬の適度な削げぐあいから、口許に残った少年期の痕跡のようなものからなにからが、まさに今が見頃という時期で、そうでなくても、
「私と同じ趣味の神様が趣味に走って作ったようじゃない?」
 なんて言っていたぐらい、じつに好みによく合う線や面でできていた顔なのだから、都合の良さからいえば、はっきり、くっきりの方がいいには違いない。でも変はやはり変で、あれは、映画の記憶の単なる機械的な再生とかそんなものかも、たぶん、前の夢が呼び水の。

 都合のよさと話の順序からすると、手術が終って意識が戻り、
「医者の娘ですからね、男の裸ぐらいは」
 強がるジョアンの言葉にかすかに笑う──森茉莉が「薄いなにかがわれるよう」と形容した微笑を見せる、あの場面に続いてもおかしくはなかった気もするのだが、宅配便のピンポン! というチャイムの音に叩き起こされた。一気に起き過ぎて血圧が下ってしまい、午前いっぱい、気分が悪いまま。
 やっと復活した午後も遅めに、三毛グッズ(今回は額装用プリントと、シール、ラベル用のデータのみ)を無事に発送。受けるといい。大いに受けて、稼ぐ、という意味でも仕事になっていってくれるといい。始めてほぼ半年経つけれど、毎度、祈るようにそう思う。

 From : 北澤尚子
 Subject : おお!
 Date : 2016.3.22 10:49:59:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 突然の初メールをありがとう。
 長年頑固に(褒め言葉なのよ、これは)拒んでいたあなたもとうとうネット・デビュー? まずは──久々の独身生活にもまた──ようこそ。たぶん年賀状あたりを見ながら、アドレスを一文字ずつパチ、パチと打ち込むあなたの姿が目に見えてきそうでした。懐かしくって、そして嬉しかった。

 意外に思うかもしれないけれど、ネット以前の世界の方が好き、というのはまったく同感です。人とはじかに会う方、生の声を聞く方がずっと好きだもの。ただしている仕事上、使わざるを得なかったというだけのこと、ならば、使えるところはとことん使いたおそう、と開き直っているだけのことでね。でもまあ、使えばそれなりに、という以上に使えるものではある気がします。ニュースソースとしては明らかにマス・メディアよりはましなようだし、昔なら手に入れかたも思いつかなかったようなものを探してみたり、実際、手に入れたりもできるわけですし。

 そういえば、『血と怒りの河』ってあったでしょ。昔何度も見た映画。あの個展に来てくれた折にも、なんでかしらね、と言い言いしたものだったけど、ビデオはとうとう出ませんでした。少なくとも日本では。
 パソコンを使い始めたのはその翌々年。もしかして、と下手な英語であれこれ検索した結果、アメリカ版は出ていると判明、いそいそと注文したところ、届いたのは三倍速という代物。正規版なのに、目の青さえ青とは見えない画質のもので、これでは日本版は出せないはずよねえ、と妙な納得をしたものでした。
 店頭でたまたまDVDをみつけて即購入したのはそれから四、五年後。スクリーンの中の男に憧れる季節はもう疾うに過ぎていても、久しぶりに見てみればやはりいい映画、好きな映画でした。冒頭とラストのシーンも、そして音楽も素晴らしかった。つい、家では聞けないサントラのLPまでネット・オークションで買い込んで、最後の曲名("The Death Of Blue"!)に、
(死んでるじゃない、完全に)
 とあらためて呆れたりもした、という次第。
 CDは今も入手できずにいますけど、ついこのあいだ、youtubeに全曲がアップされているのをみつけたので、そのURLを──あなたのデビュー記念に──お知らせいたします。

 どうぞお元気で。またお便り下さいな。 
                            尚子

 3.22.
 先週は三好君からの久々のメール(しかし、どうして毎度人の住所をなくしてくれるんだ?)。今日はもっと久々の西野さんからの連絡、しかも、初メールでの。
 どっちももちろん嬉しくて、人の気配っていいなあ、とはしみじみと思うのだが、前のが来たのは人が一人死んだから、あとのは、少なくとも来たきっかけの一つは、人が別れたから。
 通夜や葬儀で親戚が久々に集まるたびに、
「この次はなにかいいことで、こんな風にみんなと会いたいねえ」
 なんて、だれかが必ず言うわりには集まるのは結局また葬式で──というようなこととは少し話が違うのだろうけど、年をとると、義理は欠けない良くないことでもない限り、人と人はあんまり会わなくなるのかも。
 そして「家庭の幸福」は、その中の人を外の人と隔てる囲いのようなもの、でもあるのかも。

 降る前にと思い、午前のうちに紙の買い出しに行って戻ったら、ヤフオクから、例のボックスの出品があった、との通知メールが届いていた。開始価格は一万二千円、送料も込み、というのだからずいぶん安い。早速チェックをしてみると、アマゾンの中古マーケットの最安値は目下は一万八千円。手数料を引いたってむしろ儲かるわけじゃない? と大きく心が動いてしまう。残り七日では無理な気もするが、
(そのまま、そのまま……)
 これもまた、祈るように思う。
 しかし、「これ」もこの前のあれも、祈りは金がらみのことばかり……。

 From : 北澤尚子
 Subject : タイトルの件
 Date : 2016.3.23 21:32:09:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 早速のご返信をありがとう。アハハ、あなたが今も『ブルー』とだけ(またしても)頑固に書いて、決して『血と怒りの河』とは書かない気持、ほんとによくわかります。あの邦題には私たちは大不満だったのだから。なぜ原題のままにしておかなかったか、そしてもっと内容に合った売りかたをしなかったのか。風間さんとあなたと三人で、
「ブルーが青っていうのぐらい、むしろ、知らない人の方が少ないじゃないねえ」
「ねえ……。原題通りにしておいて、ポスターにもいい写真ちゃんと使ってね? 若い女の客呼べば、大ヒットになったかもしれないじゃない。ほら、『ガラスの部屋』とかさ、ああいう風に」
「そうよ! あんな、猫がシャーッてやってるみたいな顔じゃなく、きゃ、綺麗……っていう写真を使わなくっちゃ」
「そんなシーン、いくらでもあったじゃないね、あの映画には」
 なんて言い、声を揃えて、
「バッカだねえ……」
 長い溜息をついたものでした。

 あのとき私たち、日本の配給会社のセンスだけが悪いと思っていたでしょう? でも違ったようなのね。例のVHSを買ったとき、もしかしたらポスターも、と思って調べてみたんです。もちろんあって、手に入れることもできそうではあったけど、これがじつにセンスの良くないものでした。絵がへた、色が貧相、構図もよくない。あんなものはいらない。
 もっとましなポスターを出していた国もあるのではないの、とほのかに期待して、まずタイトルから調べてみたら、フランス版のは『エル・グリンゴ』で(これはよそものの方のニュアンスなのかしら、アメリカの白人野郎、というよりは)、スペインでは『河の中の地獄』、ドイツでは『激流のほとりの地獄』、トルコでは『復讐の河』と、このあたりは日本と近い線。わりにましだったのはイタリアの『氷の瞳』、フィンランドの『ブルー - 沈黙の戦士』ぐらいのものでした。
 ポスターのデザインは推して知るべしで、殺伐なものばかり。監督の名前のせいで、マカロニ・ウエスタンだと思われて? シルヴィオ・ナリッツァーノって、イタリア系のカナダ人なのに。

 そう、私もできれば『ブルー』で通してみたい。でもどうしてか、公開時の正式な邦題ではないのを言うのは照れくさい、みたいについなるらしい。
 名前といえば、昔、風間さんが怒っていたじゃない?
「オオイヌノフグリって、なによ! つけたの絶対、牧野富太郎よ、このセンスの無さ加減」
 って。
 種子の形が犬の陰嚢に似ているイヌノフグリに似ていてやや大きい。そんなつまらない理由で命名しないでほしい。こっちの種子はハート型なのに、それにヴェロニカ・ペルシカ、天人唐草、または瑠璃唐草と、もっとずっといい呼び名がほかにいくらもあるのに。やめてほしかった、とは私も大いに思います。でもどうしてか、ルリカラクサの花が咲いてとは人に言いにくい。これも理由は同じで、じつは案外、「正式」に弱いところがあるのかも? もしそうなら結構問題ね。

 どの国もこの国も、いかにセンスの欠片もないポスターばかり作ってくれたか。一見にしかずではと思いますので、添付して二、三送ります。まあ、笑ってやって。
                            尚子

 3.24.
 今朝もまた、押入から音がした。バタンではなく、風か、遠い海鳴りに似た音だった。それとやはりなにかが動く音、ガサ、ガサというような音。
 一気に引き開けてはいけない。そのことはよく知っている、という気がするから襖を細く開け、体を横にしてそーっと入る。馬の背の上にもういる。白いたてがみの馬の背に二人で乗って、一面の葦原の中を逃げている。馬が進むたびに葉が擦れ合って、シャラシャラと鳴る。パカパカ、シャラシャラ、シャラ。ココニイルと告げているようなこの音は、追手の耳にももう届いているはずで、その証拠にはとでもいうように、かすかな音がうしろから近づいてくる。打ち寄せる遠い波に似た葉の音、何頭もの馬の蹄の音。
 もう間に合いはしないが、それでも下りて、地上に身を伏せている方がたぶんいい。そう言いたい。でも声が出ない。じき起きるはずのことも、私はよく知っている、と思ったら動悸がしてきて、どきどきしてき過ぎてしまって目が醒めた。おかげで醒めてからもしばらくゼーハー。
 というわけで、また『血と怒りの河』なのだった。
(一体、なんなんだ? この状況は……)
 とは思うが文句はべつにない。今朝のはブルーが負傷する、その直前までのシークエンス。箱の一つは是非これで、と一度は思っていたぐらいに好きな場面なのだから。でも都合がとか表情がとか、そういう意味でではない。あるじゃない? いやでいやで気になり過ぎたあまりに、もうほとんどお気に入り、みたいなものが。夜明けを前にしたスガンさんの山羊、『雄呂血』の大殺陣。ああいう、絶望的で美しい戦いみたいなものの、なぜか、見る前から熟知していた気のするイメージが。
 追われて逃走することと、狼との、あるいは「雲霞の如き」討手との戦いとを私がこうして──当然のように──ごっちゃにすることからしてみても、そう良くないこの趣味はたぶん闘争か、逃走かという事態のためのナニカに由来するんだろう。危機に際したとき用のデフォルトのアプリというか、あらかじめ脳に組み込まれている装置だとかなにか、その種のものに。
 たまには見る逃げる夢、もっとたまには見る戦う夢も、暇な脳がついついしたがる装置の試運転、または、シャドウ・ボクシングの類。
 妙に惹かれる理由の第一はたぶんそのあたりだろうが、映像もいい。一味の襲撃から倉庫、もしくは無人の店でのジョアンの危機、ブルーのマヌエル殺害と馬での逃走、村人の反撃へと続くくだりは、所謂「アメリカの夜」、昼にフィルターをかけて撮影した疑似夜景だと思うのだけれど、空の鮮やか過ぎるほどの青が多少景色をシュールに見せていて、
(これは、よく御存じのはずのあの悪夢。ほら、だから、なにか懐かしいでしょう?)
 耳もとで言われているようなのがよく、馬も、葦原もいい。走る馬、一面の葦や薄。両方とも今も好きだが、十九、二十歳の頃にはもうオブセッションかというぐらいに好きだったのだ。
 などと書いていてふと思ったのだけれど、馬は逃げる手段、薄は身を隠すためのシェルターだったりしたのだろうか。で、今朝の夢の「私」って、前に乗ったアントニオの方か、それともうしろに乗ったブルーその人だったのか? つまり、「私」はあのあとですぐに死ぬのか、ではないはずだったのか?

 夢の外は今日も雨。トリチウム、その他を含むのらしい雨。私は一日をほぼバイトのトレース作業に費やして、ほぼ引き籠りで過ごす。宅配も今日は来ないからものも言わぬまま、人とも会わないまんま。中との落差のなんとまあ、激しいこと……。ドラマのない日常の嘘臭いメリハリとして、この数日はヤフオクをせっせとのぞく。入札はまだない。千載一遇の好機なのではないかしら、とややわくわくしながらあと四日を待っている。

 From : 北澤尚子
 Subject : とり急ぎ
 Date : 2016.3.24 23:30:17:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 お尋ねの件ですが、あのDVDはアマゾンでも楽天でも普通に買えます。新品でも二千円まではしないはず、中古でよければもっと安く買えるはず。是非買って、久々に見たご感想などお聞かせくださいな。あのビデオとは違って、映像もほんとに綺麗なものだから、とくに色彩が。
 疑似夜景がそれと少しわかり過ぎる気もするけれど、昔は感じないでいたことなのだから、デジタル化をするときに色をクリアにし過ぎたせい? 単に前は気がつかなかっただけかしら、ブルーにばかり見とれて。
 ではまた。
                            尚子

 3.26.
 曇りのち晴れ。晴れてもそう暖かくはならず、日が傾けば寒の戻りかしらという温度。タマがまだいれば、電気ストーブをつけてくれとかいわれそうなような温度だ。桜は足踏みの状態、こちらは今日も引きこもって、トレース漬けの状態。
 注文が入ったサバトラに早くかかりたい、かかる前にせめて一日は休みを入れたい。時間を短縮して結果的に時給を高くもしたい、と思うせいでつい手が急く。料理までがさがさと急いでしてすぐ食べて、明日用の買い出し兼散歩、少しネット、CDを聞きながらの晩酌ののち、ひたすらに寝る。こんな一日だと日の残滓という程度の夢さえ見ない。人の絵、それもキカイの絵のトレースだから、というだけではなくて、パソコン自体夢の敵なのだ、きっと。
 でもとりあえず、確実に・定期的に入る金はある方がいい、
(あるだけでもありがたい、というほかはない御時世なのだから)
 そう考えておくことにして、黙々と線を引き、ときどき、なんていい腕なのかしらと自画自讃する。早い、うまい、安い。まるでどこかの牛丼屋のキャッチコピーだ。

 3.27.
 今日もまた、曇りのち晴れ。そして今日もまた一日トレース。
「続き」も当然見ない。とはいうものの、西野さんとのメールの影響もおそらくはあって、夢の外側でもそのあたりの記憶は活性化しているのらしい。些細なことがあらためて気になりだして、いくつかのデータベースをついついチェックして、呆れ返った。
「本能的にジョアンを助け、マヌエルを撃ち殺した。そこへ駆けつけたハビエルとアントニオ。ブルーを逃がそうとするアントニオをハビエルは殺した。ブルーも瀕死の重傷」
 って、嘘ではないの、まったくの。
 オルテガの息子の一人で、かねてからブルーを嫌っているハビエルは、「知るか、グリンゴ」と言い捨ててさっさと逃げて無事にメキシコへと戻る。もう一人の息子、アントニオはためらうブルーに手をさしのべて、馬に相乗りして逃げる、その途中で撃たれて落ちかかる。支えようとするブルーも最初に胸を、次に腕を撃たれて手を離す。落ちたアントニオは追い立てられて逃げ場を失い、葦の茂みが少し切れた場所で、観念して膝をつく、その後頭部をためらいもなく、村人が撃つ。ほんとはそうで、私刑だとちゃんとわかるように撮っているのも、葦の葉の音、馬の蹄の音等が、追われる側が耳にするもののように聞こえるあたりもいい。
 そう、「悪夢としての既視感」みたいなあの感じがじつにいい……。

 で、あらためて気になったという件は、馬の速度の差が命取りになるぐらい熟知しているはずなのに、なぜ相乗りなどしたか、なのだった。
 それはまあ、逃げおおせてしまってはあとが続かない。マヌエルを殺した件では一悶着起きることだろうが、ブルーは、実の息子たちをさしおいてのオルテガのお気に入りなのだ。なんとかなるだろう、ということで話はおしまい。ジョアンとまた会うこともなく、好きな葦原のあの場面もない、でも、ご都合主義と突っ込まれてもしかたがなくはない? マヌエルもブルーも馬で来ていたわけだから、少なくとも二頭はほかにいる(つないであるカットを目にした記憶もたしかある)。ブルーの方はまあ、甦る過去の記憶に加え、義兄弟も殺してしまって心神耗弱でもいいが、アントニオがそれでは馬鹿過ぎる。実質、馬賊なのだからね? オルテガの一味って。
 こういう箇所がいくつかはある映画でもあるから、いくらかつての最愛だとはいえ、大傑作だとまでは言ってあげられない。ししみじみ惜しい──なんて書いている場合ではない。無論、DVDでチェックしたりしてもいけない。せっせとまたトレースしなくては。

 3.28.
 また少しだけ、あの映画の夢の続きを見た。見てから起きるまでにやや間があった、そのせいだと思うのだけれども、醒めたらもうほとんど思い出せなかった。鮮やか過ぎる青い空の下にまたいたような気がした、だれかがすぐそばにいた、というのだけ、ぼんやりと憶えていた。そのだれかがいることが、夢の私にはひどく嬉しいことなのらしかった。
 夢の外はまた雨、三日ぶりの雨。ぽたり、ぽたりという雨垂れの音を聞くうちに、昔読んだSFをまた思い出す。星新一のショートショートで、宇宙船で遠い星へと行く話。その星には未知の液状物質があって、触れればヒトは溶け、同様の赤い液体になって死んでいくのだ。結局ただ一人が生きのびて帰路につくのだが、安堵する男の上に赤い雫がぽたりと落ちてくる。みるみる広がるその液は「どこか懐かしげな表情を湛えていた」という落ちで、たしか新聞で読んで、読むのではなかった、と深く後悔した。もう遥かな昔のことなのに、いや過ぎて、例によって今でも忘れない、どころではない、あの事故以来、降るたびにこうして何回でも思い出し、頭の中には『ワルツィング・マティルダ』までつい鳴り響いてしまう。
 べつにごっちゃにしたっていいじゃない? 似たような頃の映画とSFだったのだから。今なんてもう、『風が吹くとき渚にて(ただし、いくらかはスローモーションで)』みたいなものなのだから。
 いつか必ずくるはずの滅亡のときを、人類はどうも待てないものらしく、自分の方から滅びていくつもりでいるものなのらしい。ヒトがヒトとして生きる、なんていう不気味の上に、このところは余分な不気味までが積もりに積もり、なににどう怯えていればいいのかがよくわからない。もう逃げ切れるかどうかも不明。でもまあ、「死ぬことはないかのように、文明は永遠であるかのように」生きていかなくてはともいうじゃない? それが真っ赤な嘘だとはわかっていても。
 長い年月、シャドウ・ボクシングを無駄にしてきたつもりもない。この山羊だって、
(一つ、立派に戦ってみようではないの……)

 3.29.
 昨夜遅く、例のバンドエイドを無事落札。それも、どういうわけか開始価格のまんまでの落札だった。こんなささやかな幸運がちょっと嬉しく、トレースから解放されたことがそれ以上に嬉しくて、久しぶりに気を入れて夕食を作る。イカ納豆、台湾風オムレツに皮蛋豆腐、ゴーヤのおかか和えにビール、締めに粗塩だけの炊きたてのお握りとお茶、そしてまたビール。

 少し酔うと、あの件はいつのことなのかとつい調べてみたくなる。星新一、宇宙船、赤い液体。これでタイトルは『帰路』だったとすぐわかり「懐かしそうな表情を湛えた」の一節がほんとにあったともわかる。作者の公式サイトでリストを見ると、初出は六一年、朝日新聞。ふっふっふ、記憶の通りではないの。そう思ったあとから気がついた。死ぬということ──自分が死ぬということが不意に腑に落ちた年の前年なのだった。
 腑に落ちたときに見ていたものは『ミステリーゾーン』、第二四話の『無用な男』。不吉な前奏曲みたいだった映画の方は『罠にかかったパパとママ』。日本での放映、公開はそれぞれに十月十三日、三月の十日だったと、これは去年調べて知っている。そう、よく知っている、この検索癖がすでにかなりの線、アディクションに近いということは。
 とはいうもののあれとこれとがカチリと噛み合って、なにかが見えた──と感じる瞬間の、この気持良さ、この気味悪さときたら。そして年月がうしろへ、うしろへと遠のく速度のこの早さといったら……。

 などと書いていて、今急に思い出した。こっちだって一家で乗っていた、というのだからずいぶん遥かな昔、新幹線の隣のブースで、五つほどの女の子が窓の外の景色にじっと見入っていた。
「あ、あそこにも、あそこにも」
 と嬉々として言っていたのは鯉幟のことなので、あ、あ、と何度かカウントするうちに声はかぼそくなっていき、とうとう、
「お母さん、もう気持わるい」
 と隣にいたお母さんの膝の上に突っ伏した。鯉幟の数はあまりに多過ぎ、景色がうしろへと流れる速度は子供の目で追うのには早過ぎたのだ。
 子供の声と気配。一面べったりと明るい緑の、パーマネント・グリーン・ライト(ホルベインというよりはクサカベあたりの)とかそんな色の田んぼ、巨大な目刺しに似た鯉幟、吹き流し、雀おどしの金や銀のテープ。音もなく、分厚いガラスの向うで吹き続けていた風。そんないろいろが妙にありありと──って、なんの話だっけ?
 そうそう、過ぎていくのが早過ぎて、
「もう気持わるい」
 という話。笑い声を抑えている私のすぐ隣では、こっちの一家の「お母さん」がやはり声は出さぬままに吹き出している、向かいで父は寝ている。姉の席からではなんの話なのかが見えにくく、怪訝な顔で母と私の顔を見る。あとでね、この話はちょっとあとでね。
 なんていうのは、同じ場面についての「遠のく速度の」とは関係ない部分だけれど、一度合い出すと、ピントはますますそっちによく合ってくる。比喩好きの脳がたまたま、
(あ、これはあれのようではないかしら?)
 と思いついてアーカイヴから出してみただけの場面の記憶が、一度外の空気のようなものに触れてしまえば、こんな風に一人歩きをし始める、これもたまたまアクティヴになっていただけのべつのイメージとからまりあって、みるみる、べつのイメージへと形を変える。それがまた、連想からべつの記憶をさらに引き出してきたりとかもする。外部の刺激が足りなくなると、脳ってこうして刺激のもとを作り出してはせっせと遊ぶのだ、たぶんね。
 そう、あの頃は、私はよく母と同時に笑い出し、同時に口を開いては同じことを言い出したりしたものだった。相手にチューン・インをしていたのは主にどっちか? たぶん私ではという気が今ではするが、どっちだとしても、二人のあいだの領域のどこまでがだれの気持で、どこからがだれの気持なのかはあの頃はわかりにくかった。
 これもまた、
「お母さん、もう気持わるい」
 についての話、意味は違う話。

 From : 北澤尚子
 Subject : 朗報
 Date : 2016.3.30 11:05:28:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 DVDを無事にゲットとのこと、おめでとうございます! そうしてだんだん、ネットでの検索と買物に人ははまっていくのよ。
 はまって久しい私の方は、本日、あの映画のサントラ盤(ちゃんとCD)を発見してすぐ購入。これは明後日昼までには手もとに着くだろうと思います。ギリシャからの輸入盤で、マノス・ハジダキス当人のレーベルから出ていた正規品だとのこと。解説もちゃんとしたものがついているのでは、もしかするとボーナス・トラックも、などとちょっと期待中。解説がギリシャ語だけではないことを心から祈っています。あのギリシャ文字を一つ一つ打ち込んで、翻訳サイトでまず英語にしてなんて、想像してみるだけでもしたくない作業だもの。
 え、ほかには話題はないのって? まさか、でもないけれど、話せば長い長いわけあって、ここのところリバイバル中なの、私の中では。
 それに、ない? 昔特別に好きでいたようないろいろのものを、
(今見てみたら、どうなんだろう)
 そう思って見直すようなこと。私はわりによくします。かつての愛読書を読み直し、あの映画、この映画を再び見、無論、エルヴィスもまた聞き直し……。
 今もいいと思うもの、今の方がなおいい気がしてくるものも、もういらない気のするものもある。
 もしかして、この先の日々の手荷物の中に入れておくもの、ではないものの選別でもしているのかしらね。
 ではまた。
                            尚子

 3.31.
 だから、雛の月も終りの日。とりあえずは晴れて、昼は二十度をすでに越し、桜もすでに満開。
 サバトラの絵は無事に仕上がり、加工の前にちょっと一休み、というところ、いい絵じゃないの、とまた自画自讃をしているところ。

 この前の話の続きを心覚えにちょっと書く。
 昔、昔。家族揃って映画を見に行った。昔、昔。家族揃って映画を見に行った。それが『罠にかかったパパとママ』。字幕付きでは初めて見たそのディズニーの実写を、私は大いに楽しんで見た。
 でも、今もよく憶えているのは映画についてではない。話もかなり進んだ頃、スクリーンの横の壁の時計になぜだか目がいった、そのことだ。緑に光る針の位置からしてみると、終演まではたぶん二十分、もしかするともっと、ちょっと。なんということ? この楽しい時間にもじきに終わりが来てしまう、と考えた次の瞬間に、ああ、私の時間の全体にも終わりはいつか来るのだ、と突然気がついたのだった。残りもなんとか楽しんでは見たものの、
(とんでもないことに気づいてしまった……)
 という思いはあとあとまで尾を引いた。
 六二年のそれが八月のことで、『無用の男』を見たのはその二ヶ月後。
 未来のものらしいある独裁国家には、死罪にあたる「無用の罪」が存在し、書物もまた無用のものとして禁じられている。そんな設定の話で、主人公の図書館員、ワーズワースは、無用の人物だとして死刑を宣告される。
「ワーズワース君……」
 と呼ぶ、少しエコーがかかった裁判官の声のほかは、記憶はもう朧なのだけれど、たしか、裁判官も同罪に問われるように、なにかしらをワーズワースが仕組むのだった。すべては彼の思惑の通りに運び、刑の執行後に裁判官にも無用の罪と宣告が下る、そのラストシーンに見入りながら、
(さぞ満足しただろう、これを見て)
 などと迂闊に思った次の瞬間、
(見てって、だれが、どこで?)
 すぐにまた思って愕然とした。
 ワーズワースと呼ばれていたナニモノカはもう存在しないのだから、見ることも、満足することもない。死ぬってつまりはそういうことで、今ここで「私は」とか言っている、このナニモノカもいつかは死んで、消えてなくなる。それは「私」からすれば、世界全体が消えるのとたぶん同じことなので──と、なにかものが降るように不意に腑に落ちた。
 足の下の床が、その下にあるはずの地面ごと揺れたか消えたかしたようだった。
 足の下にも頭の上にも無限に拡がるものらしい、宇宙──または空間て、なんの話だ?
 生まれる前にもあって、死んだあとにも、たぶん無限に続いていくのらしい時間、永遠て、なんで、「私」ってなんのことなんだ?
 そう思うことをほとんど止められなくて、しばらくは何をしていても上の空だった。もとからの軽い離人症が少し進んだ そう思うことをほとんど止められなくて、しばらくは何をしていても上の空だった。もとからの軽い離人症が少し進んだ(といったって、「あのこと」にちゃんと名前があるのだとはあとあとまで思いつきもしなかったのだけれども)。
 恐怖の日々は、同じ年の大晦日の夕暮れどきに、その始まり同様にかなり突然に終わった。
 私は炬燵に向かって、年賀状を上の空のまんまでただ刷っていた。晴れた日で、窓からは富士と秩父の山々がさわれそうなほどにくっきりよく見えていた。じきに、西の空は一面の夕焼けになって、富士は黒々とした大きな影になり、不思議なほど赤くて大きな太陽が稜線の向こうに沈んでいった。
 あれはどうしてだったろう、傾きかけてから沈み切るまでをずっと眺めているうちに、なくしたなにかの一部が体の中にシュッと戻ってくるように感じたのだった。少なくともこれからしばらくは、たぶん大丈夫。そう思うのになんの根拠もなかったが、夜がきて、明けて起きても私はまだ大丈夫なままでいた。あのとき体に戻ってこなかったいくつかのものは、そのあとも二度と戻ってこなかったような気はするのだけれど。

 時計の針は、さあ、今は、どのあたりを指しているんだろう?

 4.2.
 時折り雨のぱらつく、花冷えの一日。幸いほんの小降りで、あと何日かはまだ見頃が続いてくれそうだ。
 ほぼ正午に予定よりは一日遅れてCDが、午後一にはDVDボックスが着く。ボックスの方はほんとうに新品同様の品。そのアピールにということなのか、シュリンクも必要最小限だけ破いて剥がさないでおいてある。なんだかなあ、という気は微妙にするものの、この感覚が今のはやりならと我慢をしてバリバリとはむしらずにおく。
(さあ、どの回から見たものか?)
 という前に、CDの方のOPP袋を破りとって中を確認、付属の(二八ページもの!)小冊子の半分がギリシャ語、残り半分が同じ内容の、しかも、私にでも読めそうな英語だったことにほっと安堵し、その内容がまさに知りたい話の界隈らしいのには一人、雀踊りをする。
 それにしてもまあ、文字の小さいこと。パチ、パチと写すだけでも一苦労だけれど、これを日本語にとなると、ねえ……。高校、大学と、英語の授業を大方寝て過ごした私がバカだった、なんて、今さら後悔してみたって遅いけど。
 なんにしてもこの「資料」、ポワロのDVD、もしかすると夢の続きと、いいおもちゃ、またはバンドエイドには当分当分、事欠かずにすみそうだ。
 わーい(と、ちょっとハイ)。

 
From : 北澤尚子
 Subject : え、カタストロフィー?
 Date : 2016.4.5 09:03:17:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 開花まであと二十日ほどですって? 札幌って、ほんとうに北の国なのね。あらゆる花が次々に咲き揃うという時期はもっともっと先でしょうか。人からもいろいろと聞き、一度はいあわせてみたい、とずっと夢見ながらまだ果たせてはいません。毎年体験できるとは、もう羨ましい限り。

 CDはあの翌々日無事着きました。
 二〇〇一年に出たというわりには音の方はまあまあでしたけど、ジャケット、付属の小冊子共に上々の出来。モノクロにわずかにブルー・グレーをあしらったデザインも含め、この映画と音楽を大事に扱っている、という感じが伝わってきて、いいものでした。祈った甲斐あって冊子にはちゃんと英語の、それもかなりいい資料が載っていたしね。内容の方は、あの映画についてのマノス・ハジダキス本人の回想、撮影当時に出したやはりハジダキスの手紙の抜粋等々。たぶんギリシャ語から訳したからなんでしょう、大変わかりやすい英文で、英語力は中学生レベルの私にでもなんとか理解はできました。
 でね? 意味深長なことには、手紙では、
「ナリッツァーノは、ハリウッド中の映画会社で、『血と怒りの河』の音楽が評判になっているとぼくに言う……。でも、ぼくの宣伝マンのうちで一番活気があるのは、ロサンゼルス交響楽団の団員たちだ。演奏し終わるとスタンディング・オベーションをしてくれたうえ、一人、また一人と握手を求めにきたのだからね……」
 右の調子だったのに、その回想の方の最後には、
「映画の完成後には、大きな災厄が訪れた」
 に始まる一節があって、
「そして、私は、オデュッセウスのように悲しみを胸に抱いて故国へと帰っていった」
 に続いていたりする、という……。
 あいだにはまあ、この映画の関係者それぞれを襲った個人的な「災厄」が列挙はされているけれど、どうも、単に、一人一人にたまたま災厄が、というような話なのではないらしい。それはそれとして、「みんな」にとっての大災厄もなにか訪れた、ということで。
 災厄(disaster)に当たる言葉だけ、ギリシャ文字をなんとか打ち込んで調べてみたら、カタストロフィーだったから(この言葉、もとがギリシャ語だったとは知りませんでした)、なにか半端なことではない惨事、当然、映画そのものに関する大惨事であったはず。
 私はたぶん、大コケだったのだろうと想像してみています。チープなVHSしか出なかったのも、そのせいじゃない? こっちでの、ロードショーとは名ばかりのおざなりで短かいあの公開も、じつは向こうでの不評の影響だったんじゃない?
 日本でたまたま見た人の受けは軒並みいいだけに、
(一体なんで、大惨事というほどの?)
 興味津々になり過ぎたあまり、テレンス・スタンプの──三冊目の──自伝まで注文、無論英語なわけだから、届いてみたら "all Greek to me"かもとは怯えつつ、その到着を待っているところ。

 DVDに大感動! のお電話までいただいたしと、つい図に乗ってこの話ばかり。困ったもんです。次はべつの話をね。
                            尚子


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