夢で逢いましょう

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作家プロフィール
北澤尚子(きたざわ・なおこ)

イラストレーター、コラージュ、オブジェ作家。東京都武蔵野市の出身。大学で油彩画を専攻ののち、デザイン事務所等を経てフリーのイラストレーターとなり、'80年代には雑誌、ポスターを中心に主に映画をモチーフとした緻密なイラストを発表。'90年代以降はコラージュ、アッサンブラージュ制作等、表現の幅をさらに広げて「映画の夢・物語の夢」の世界を表現し続けている。(本データは1998年に開催の個展、『夢幻電影館/昨夜星光燦爛』のパンフレットに掲載されていたものです)

 2016.3.8.
 きのう。
 そろそろもう、DVDになっていたっていい頃ではないか、とアマゾンをのぞいて見たら、『名探偵ポワロ』の最終シリーズはやはりボックス・セットになっていた。でも出たのは一四年、つまりおととしの暮れで、そろそろどころの話ではない、疾うの昔になのだった。こはいかに。日に三時間近くはネットを使い、その大半を検索に費やしながら、この件での検索はそんなにもしないでいたか、して出たのは確認して忘れているか? どっちにしてもまさかでしょうと言いたいが、そのどちらかなのには違いない。
 年々歳々、月日の経つ速度は早くなり、物忘れの度は進む。この調子だと残る月日も夢のうち──と思うのに、無聊の時間に限っていえば、昔よりも長くて過ぎにくい。目新しい仕事、友達との長話、まだ落ちたばかりの恋。「人生の賑やかし」みたいなものが降るようにあったのっていつ頃までだった? と指折り数えれば、もう二十年は前の話だ。
 そんな頃のいつだったかに、泰子さんが、
「ときめく時間って、心のバンドエイドよね。ときどきでもあるとは思うから、生きてもいけるっていう」
 長い溜息とともに言ったりしたっけなと思うけれども、私にはもう、当時の彼女の好みよりは軽いもの、ときめきよりはいくらかほのぼのに寄ったバンドエイドの方がいい。
 しかし、その程度のお楽しみの調達さえ今では難しい。古い友達と心ゆくまでおしゃべりをと思ってみても、泰子さんは亡くなってすでに十余年。死にも仲違いもとくにはしない女友達もここのところは介護で忙しく、似た商売の男友達はいずこも不景気で飲む金がない。
 父は三十数年前に死に、姉に丸投げの惚けた母親は施設に入所してもう久しいが、景気の悪さでいうなら私だって人後に落ちるものではなく、もともとそうなかった体力も今はさらにない。芝居は高い、映画館まで行くのは大儀だしとなると、手頃なのはDVDあたり。それもこういう、長いテレビのシリーズ物なんかがいいが、いい出来のものは滅多にはない。だからポワロのシリーズは出るたびに一旦は買い、やはり全巻を一度は買ったホームズと同様、前半だけを手許に残して、交互にときどきまた見てもいる。
 ホームズは無論、ジェレミー・ブレットがまだ元気だった頃のものの方がよく、ポワロはミス・レモンだのジャップ警部だのが出てきていた時分の方がいい。少なくともバンドエイドとしてはよく、弱った心の皮膚に優しく、複数回の使用にも十分耐えるというのが嬉しい。
 いつもの部屋におなじみの面々、殺人でも暗くはなり過ぎない事件、例の大団円。面々の言動はいつもいかにもそれらしく、でもあくが強くはない。いかにもその時代のその国らしく見える細部も目には楽しく、行く先々の風光がまた美しい。つまり、じつにウェルメイドで適度に緩い。
 後期に入ると新レギュラー陣、演出ともども緩さが減る分、ほのぼの度もずいぶん低くはなるるのだが、出来自体は悪くない。旧レギュラーが顔を揃える第二話と絶讃のレビューもある第三話はできれば見たい。
 ただし、ポワロが死ぬ『カーテン』はあまり見たくない。だって、見てしまったら前のエピソードを見返すときにもデモ死ヌノヨネ、コノ人モという気がしてきそう、
(いいや、どう長生きしてみたってもう死んでるわけだから──ではなくて、そもそもいもしない人なわけなんだから)
 一々、阿呆なことを思っては気を取り直す手間がいりそうではないか。
 とはいえ、例の面々のその後はやはり見てみたい。一、二度見たら、アマゾンのマーケット・プレイスでまた売ればいい。このシリーズはすぐにいい値で売れるから、差し引きさほどの出費でもない。同じ買うのなら、大幅値引き中の今ではとは考えながら珍しく決めかねている。
 こういう決断力低下って、もしかして老化の兆候?

 3.11.
 雨、または曇り続きで肌寒い数日。きのうは夜から小雨、今日も昼までは小雨。
 ゆうべ遅くにゴミを出しに表に出たら、濡れた土と花の匂いがした。沈丁花と梅と、あとなにか、と思いながら顎を上げて嗅ぐうちに、久しぶりにあの気配を肩に感じて、心がややざわついた。ばさ、ばさと肩甲骨の中ほどではばたきたがる、小さな──キューピーの肩にあるのの程度の羽の気配。
 昔は、
(ああ、春の夜の匂い……)
 そう思うたびに同じ動きをそこに律義に感じたものだった。恋の予感に似たそのはばたきの何度かに一度は実際恋にも落ちていたのだったから、忙しないこと、まるで繁殖期の鳥並みだった。
 さすがにもう繁殖でも恋でもないが、せめてとでもいう気でだったのか、似た気分の夢は見た。朝方のその夢で、私は、ビルの三階の狭い画廊の中にいた。箱のオブジェを入口近くで見ていると、男が入ってきて記帳する。グレイのスーツの肩の尖った、近い年頃の男で、各々見てまわるうちに以心伝心、意馬心猿の態になってきて揃って画廊から出たが、ビル中慌ただしく探しても目的に合う場所はなく、次回こそ、という感じでまた戻ってきたところで醒めた。醒めてからも甘美なような、切ないような気分がしばらくは湯のように残っていた。
 夢の男と逢う夢から醒めたときって、いつでもそうだ。夢の男たちはいつもとてもわかりやすく私を好きで、ほど良く世慣れてもいて、その仕草の一々が優しい。ほんとうはもっとぎこちなくて薄情だった男たちでさえ、夢の男として出てくるときには十二分に優しくて、夢の私だって、
(気にも入るわねえ、これだけよくしてやれば)
 などとは思いもしませんという、それこそ夢のような恋なのだ。醒めてしまえば切ないのも甘美も当然のこと。それに今朝の男には夢でさえもう逢えはしない。夢の中にしかいない「彼」の記憶、「彼」との記憶なんかは脳のどこにもないわけなのだしね?
 とはいうものの今朝の男にはなぜか名があった。芳名帳の右のページに記された文字を私は目にしたし、目が醒めてからもなぜだか忘れなかった。原田清人というのだが、実際にはそんな人は知らない。友人は無論、遠い昔の知り合いまでたどってみても、キヨトも男のハラダもいた気はしない。同じ名前の著名人もとくに記憶にないから、由来はよくわからない。
 でもまあ、それはいい。夢の原田さんといて、私は久しぶりにときめいた。着たものがかすかに触れるかどうか、という程度の距離で肩を並べて歩いただけなのに、へたにもっとなにかをしたのよりもセクシーだった。この体って、まだああいうのを憶えているわけなのねと思い、よかった、使えるデータをそれなりにはストックしておいて、と思ったら得をしたみたいな気分になった。
 箱のオブジェの展示ということは、夢の個展の素はコーネル展? ビルの古さからすると、昔の私の個展の方で、あれは銀座のあのビル? 
 そしてやっぱり、あの名前の素ってだれなんだというか、一体、なんだったんだ。

 3.12.
 今日も雨、終日の雨。
 灯りを消して布団の中にもぐり込み、眠る体勢に入った途端に、ゆうべの夢の中でいた場所をふっと思い出す。思い出すというか、また同じ場所にいると体が感じるというか。脳のどんな必要と仕組からくる現象なのかは知らないが、そう感じるたびごとに、ユウベト今トハ一続キノモノナノダという気がしみじみとして、妙にほっとしたりはする。ゆうべもまたで、やはりあのビルでなどと思っているうちに、いつ頃まではあったわけかしら、とも思いだしてしまい、つい、起きて出て検索したら、まだあったからえっと驚いた。あのビルは、二十数年前でさえそこにあることがすでにシュールに思えたほど古かったのだ。
 まさかのついでと原田さんも検索してみたら、舞台の俳優ですぐに出てきたからまた驚いた。夢とは違い、今の私と比べたって一回りは年上で、だからだろうが、ウィキペディアには「脇役で多数のドラマ、映画にも出演して」などとあり、かなり長いリストまでちゃんと載っている。とはいえその中には見た記憶のあるものはなく、そもそも、顔自体を知らない。べつに珍しい名前でもない。偶然の一致でしょ、とほぼ決めかけてから、またええっと驚いた。洋画吹き替えの方のリストには、なんと、『血と怒りの河』とある。続く括弧にはテレンス・スタンプともあって──ということは、ブルーの役。そのかみの最愛の映画の一つの中の、あの最愛の役ではないか。
 奥野ビルでした初めての個展のために、私は、いくつもの映画の箱を作った。この映画のも無論作ったが、マイナー過ぎてか写真もそうそう手に入りはしなかった。ネットなんかなかった頃、アメリカ版のビデオさえまだ出ていない頃のことだから、不出来なパンフとわずかな雑誌のほかは頼るものもなく、思いあまって、映画館でスチールをそっと撮影してきたりまでした。
 今なら、そのスチールさえネット上で見かけるし、DVDだってある。ダウンロードもキャプチャーも可能なのだからまるで夢のよう、といいたいところだが、その種の「資料」はまず昔のようには使えない。この画像のこの件での使用に関する権利はどこに所属しているか、いくらかかるか。その一々を調べるのも手間なうえ、払えと言われて払うだけの資力も今はない。加えて、著作権的にはいかがなものかとチェックをしたがる外野、それをまたネットに書き込みたがる外野も少なくはないから面倒の自乗。著作権なんていうものは資本主義下の必要悪程度のもののはずだが、正義漢ぶり、物知りぶって人を叩くバカ、叩けば人より偉くなった気がするらしいバカ、舞楽図はじつはパクリでとか胸を張って書くバカさえ跳梁、跋扈する場所なんだから、ネットは。
 まあ愚痴はいい。まだ景気もいい時分とあって箱はすぐ売れた。買ったおじさん(と、その頃の私には見えた)とはいかにいい、いかに評価をされていない映画であるかについて、かなりの時間語り合ったりもしたのだったっけ。
(まだ生きているのかしら、あの人は……)
 等々、思い出したら寝そびれて、ようやく寝て起きたら目には隈。今日中に上げる気でいた三毛の絵もとても仕上がりそうにない。年なんだしね? 今後、夜更かしは厳禁のこと。
 と、書きながら今思いついたのだが、あの名はあのビル、あの個展つながりで記憶のどこかから引き出されてきたのかも? たとえば、テレビでの放映時にそう意識もしないまま見て、やはりとくに意識もしないままに憶えてはいた、とかそんなことなのかも。

 3.15.
 一週間ぶりでのようやくの晴れ、ようやくのラグとシーツの洗濯。初夏並みの今日の高温で、桜の蕾も一気にふくらみそうだ。このままいくと、再来週の末あたりが見頃なのでは、といったって、花見らしい花見の予定はとくにない。ここ数年は、そんなこともとりたててはもうしていない。散歩のついでに近所の木を見て歩き、ことにいい桜があれば、足を止めて下から振り仰ぐ。空の奥へと重なり合う枝は目の中でまた別の春、別のところで見た桜と重なり合ってさらに美しく、しばらく見入っては、ああ、と溜息をつく(ことに夕桜、夜桜を見上げたときによくつく)。今はもうそれで十分──なんていうのは、いくらかは酸っぱい葡萄の類いなのだろうけれど。
 この時期になると、一体、と毎年のように思ってみるのだが、私が初めて桜を目にしたのっていつのことだろう?
 七つの春のある日に庭の桜の木の下に薄縁を敷いて、ままごとをした。姉とだった。木は、姉が学校に上がる頃植えられたのだと聞いた。幼稚園の「さくら組」のせいか、「よくできました」のハンコのせいかは知らないが、サクラ、という名前も花自体もそのときにはもう知っていた。それも、庭のその日の情景もかなりはっきりと記憶にあるのに、これは桜というのよと聞いた日の記憶、わあ綺麗、と感心して見た記憶の方はない。
 大体、子供の時分に桜に感心した記憶自体がない。花に興味がなかったわけではない。むしろその逆で、しゃがみ込んでは飽きもせずにツボスミレの紫色の縞、シバザクラの芯の臙脂の花形の模様などに見入ったものだった。私の視野は今よりはいくらか狭く、目は遥かに地面に近かった。たぶんそのせいでだろうが、惹かれるのはそんな小花のことに細部の方だった。正しく桜を愛でるためには、ある程度の視野と身長、つまり、木を一望にはできる程度の体の成熟がたぶんいるのだ。
 条件がやっと整い始める頃までには私はあのあくまで青い空、雪の富士との三点セットの類いの絵を見過ぎ、実物の桜まで、けっ、陳腐、と思い込んでしばらくは見て、さらに何回かの春を損した。七回か、八回ぐらい? 数えてみるとたぶんそれぐらい。

 3.17.
 きのう。
 玄関の固定電話が久しぶりに鳴った。田村です、二Bのと聞き覚えはある声が名乗って、
「残念なお知らせなんだけど、きのう、木下君が亡くなって。肝臓癌で、わかったときにはもう手遅れでしたって。──連絡のつく人はいる? だれか」
「いないに近いけど、そうね、三好君ぐらいだったら」
「じゃ、そっちには連絡お願いね」
 そして、淋しいわねえ、ねえ、こうしてだんだんね、と言い言いして切った。もう四人目で、彼はその中では一番よく知っていた「男の子」だった。
 あれは卒業した年の四月半ばの午後だった。木下君、三好君から声がかかって、読書会を始めよう、という話になぜだかなった、その打ち合わせを兼ねて、というのが名目で、
「明日はどう? 花見かたがたで、車で多磨霊園で。木下も来る。何時ならOK? 君の家まで迎えに行くからさ」
 そんな電話を三好君がかけてよこして、翌日の二時過ぎにはほんとうにきた。
 何日か続いた好天、高温のあとの寒い日で、朝から空は雨もよいだった。下りないままで園内をしばらく走り、人気の少ない区域で停めた。白いカローラから出て見上げると、空一面が鈍い銀色に光って見えた。桜も似たような色、古い一円玉の色。景色の全体が鈍い銀色の濃淡のようで、風が吹くと、シャラ、シャラ……と触れ合う箔の音がほんとうにしてきそうだった。
 桜があんなにゴージャスな、あんなに怖い花だというのはあのときに初めて知った(これが「けっ」から七、八年目。ちゃんと見た初回の方のことなら、こうして子細に憶えていたりするのだ)。
 真下から見上げ、地面に近い枝から遠い枝へと順々に目で追ううちに、体ごと空の奥へと落ちていく気がすることも私はあのときに初めて知った。
あれはひどく開花の遅い年、妙な気候の年だった。三月には記録的な大雪が二回も降った。車を出たらすぐに降り始めた雨は、次の朝までには雪に変わって、降雪時期の遅さでの新記録を打ち立てた。たしかそのはずでとしばらく検索したら、いついつと日までがわかった。
 翌日の雪が十七日だったのだから、花見は十六日で、水曜。最高気温は前日よりも十度下って十六度、降り始めは午後三時。あらまあ、とさらに検索してみれば、その年のソメイヨシノの開花は四月の六日、満開の方は十日。妙に人気がなかったのは平日なのと、さすがに盛りを過ぎていたせい。アルミの色に見えたのは褪せていたせい──なんて、辻褄が一々合い過ぎて、かえってほんとうではないことのような気がしそうなぐらい。
あの日の行き帰りのかなりの時間、私は、後部座席で本に読み耽っていた。モーリヤックの『夜の終り』だった。同じヒロインが出てくるもっと出来のいい前作、母が推す『愛の沙漠』よりなぜかこっちが私は気に入って、何年かにわたって繰り返して手に取った。初回がそのときで、前夜遅くに読み出したらすっかりはまり、持って出て隙を見て読んだ。連れの二人をそっちのけの無礼もなんだか楽しかったが、惜しいことをとあとでは後悔し、またときどきは、過ギタ黄金時代ノ最後ノ日々ダッタとでもいうように、そんな無頓着を懐かしんでみたりした。同じ年の夏の終わりの頃には、三好君への(長い長い)片思いはもう始まっていたのだから。

 From : 三好弘
 Subject : Re : ご無沙汰しています
 Date : 2016.3.17 06:09:42:JST
 To : 北澤尚子

 尚子さん
 木下隆史君に合掌。弔電の送り先、同窓会としての動き等、わかりましたらお知らせください。
 ところで、あなたは、いったいどうしておられたのやら、何度も連絡を取ろうとしていたのです。
 案じていたのです。
                           三好弘

 From : 北澤尚子
 Subject : お尋ねのその後の状況
 Date : 2016.3.18 11:02:11:JST
 To : 三好弘

 三好君
 心配していてくれてどうもありがとう。たしかにおととしまた転居しましたけど、住所、お知らせしませんでしたっけ? 
 そのおととしから去年にかけては転居に加え、私も似た病気(でも場所はべつ)で手術。ややばたばたとした日々でした。たちはさほど悪くもなさそうとのことで、術後はさっさと退院。今はとくに気にもせずに過ごしています。

 そちらは、お変わりなくお元気でいらっしゃいますか。あなたのことだから、例によって元気でいるとは思うけど。
                            北澤

 From : 三好弘
 Subject : あなたの体調は?
 Date : 2016.3.19 9:58:03:JST
 To : 北澤尚子

 入院、手術だったとは……。知らなかった。もうかなり経つらしいが、その後のあなたの体調は如何なりや? 
 今年は六月に、もしかすると短い期間、東京に行くかも知れません。その時は、超・遅ればせのあなたの快気祝いをしよう。
                           三好弘

 From : 北澤尚子
 Subject : Re : あなたの体調は?
 Date : 2016.3.19 20:02:11:JST
 To : 三好弘

 うん、そうね。もし会えたらそのときはおたがいの無事に乾杯! といきましょう。
                            北澤

 3.19
 おとといの夜、というよりはきのうの未明に、バタン、と押入の中で音がした。半分まだ寝たまんま、またタマかしらと思い、もういないのだとすぐ気がついた。それで醒めてしまった。中をのぞいてもとくに異状はないようだったから、二階かと思ってまた寝直した。八時頃になって、雨の音でまた醒めてから、あら、と気がついた。二階は先月から空き部屋なのだった。起きて出て、やや念を入れてチェックもしたが、異状はやはりない。まさかの鼠か、まだ夢のうちの音か、
(夢の猫の運動会だとか?)
 でもタマも、どの犬猫もじつは夢には出てこない。姿が消えるとわりあいすぐに「歴代の犬猫全般」みたいな記憶の一部になるものらしく、一匹、一匹についての記憶は意外なぐらいに早く朧なものになっていく。ヒトほどには個性の差が大きくないからか、じつは、そう大した動物好きではないからか?
 なんだとしたってまだ死んでからは二月なのだ。うっかりまだいる気がしたあとは、がらん……とした気持になってしまった。どういうか、私の背中の下は「薄暗い・無限の宇宙」であると不意に気がついたとでもいうような。古い馴染みのその体の感覚自体も込みで、なにもかもがもう、泣き出したいぐらいに懐かしい──というような。
 恋が終れば次の恋、猫が死んだら、また次の猫。昔々に思い決めてその方針でずっと来たものの、さあ、どうしたものだろう、これから先は。
 最後から二匹目のつもりで拾ったタマは、十七まで生きた。同じつもりでいた恋にもやや時間をかけ過ぎて、事実上もう、どれも最後のになりつつあって、それでべつにかまわない。その気ではいるのに、ときどきこうして揺れる。私だって長生きかも知れないじゃない、
(テレサ・テンだって、思い出だけでは生きていけない、と歌っていたじゃない?)
 なんていうように。
 そう、きのうの未明のように。

 3.21.
 曇り後雨。今月はもう半分近く雨。
 今朝方もまた押入で物音がした。大きな音ではなかったが、たしかになにかが中にいるという気がして戸を引き開けた。壁にもたれる形で男が立っていて、目が合うと銃口をこっちに向けた。向けようとした、と言った方が正確かしら? 腕はだらりとすぐ下り、ドタン、と、体ごと床に倒れ込んだのだったから。
 どこの床にって、夢のテキサスの、夢のモートン家の床の上にで、倒れた男はもちろん夢のアズール、またはブルーなのだった。
 昔々から、都合のいい夢ばかりを見るたちなのだ。よく夢の空を飛んだ、馬に跨って思うさま野山も駆けた。え? 性的な意味なんかない。あれはロマンよ、ロマンなのよ。そう言い張ってはきていたものの、そんな夢も五十を過ぎたらもう見ない。
 住んでいたいくつかの町には今も帰るが、もう飛びはせずに歩く。いつのまにか会わなくなった人、死んでいった人たちとも今はよく会う。そしてきのうと今日とが、過去のいくつもの時間と今のあいだの隙間が水に似たもので満たされ、私の記憶は夢の中で修復されていく。都合のいいように。
 今朝の夢だって、おいおい、と呆れるほど都合のいいセレクトではないか。あの場面での出来事──怪我をしたいい男が来て目の前で倒れてって、まるで、思いのままにできる男のデリバリーだものね。しかも、相手は少し前に命を助けてくれたはずの男、というのだから嬉しくてもう、
(笑いが止まりません……)
 とでもいうところ。
 それにしてもあんなに顔かたちを鮮明に見た夢というのも珍しかった。二十七、八の頃のテレンス・スタンプは頬の適度な削げぐあい、口の隅に残った少年期の痕跡(のようなもの)からなにからがまさに見頃という時期で、ではなくたって、もともと、
「同じ趣味の神様が趣味に走って作ったようじゃない?」
 よく言ったほど好みそのものの形状の顔だったのだ。都合ならたしかにいいが、へんはへん。脳に残存する映画の記憶の機械的な再生とかそういうものか? たぶん、画廊の夢なんかが呼び水の。
 都合のよさと話の順序からすれば、銃弾も摘出して意識が戻り、
「医者の娘ですからね、男の裸ぐらいは」
 強がるジョアンの言葉にかすかに笑う──森茉莉が「薄いなにかがわれるよう」と形容した微笑を見せ一気に起き過ぎて血圧が下ってしまい、昼近くまでずっとぼーっとしたまんま。
 やっと復活した午後も遅めに、三毛グッズ一式(今回は額装用プリントと、シールのデータのみ)を無事に発送。受けるといい。大いに受けて、稼ぐ、という意味でも仕事になっていってくれるといい。始めてほぼ半年経つけれど、毎度、祈るようにそう思う。

 From : 北澤尚子
 Subject : おお!
 Date : 2016.3.22 10:49:59:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 突然の初メールをありがとう。
 長年頑固に(褒め言葉なのよ、これは)拒んでいたあなたもとうとうネット・デビュー? まずは──久々の独身生活にもまた──ようこそ。たぶん年賀状あたりを見ながら、アドレスを一文字ずつパチ、パチと打ち込むあなたの姿が目に見えてきそうでした。懐かしくって、そして嬉しかった。

 意外に思うかもしれないけれど、ネット以前の世界の方が好き、というのはまったく同感です。人とはじかに会う方、生の声を聞く方がずっと好きだもの。ただしている仕事上、使わざるを得なかったというだけのこと、ならば、使えるところはとことん使いたおそう、と開き直っているだけのことでね。でもまあ、使えばそれなりに、という以上に使えるものではある気がします。ニュースソースとしては明らかにマス・メディアよりはましなようだし、昔なら手に入れかたも思いつかなかったようなものを探してみたり、実際、手に入れたりもできるわけですし。

 そういえば、『血と怒りの河』ってあったでしょ。昔何度も見た映画。あの個展に来てくれた折にも、なんでかしらね、と言い言いしたものだったけど、ビデオはとうとう出ませんでした。少なくとも日本では。
 パソコンを使い始めたのはあの翌々年。もしかして、と下手な英語であれこれ検索した結果、アメリカ版は出ていると判明、いそいそと注文したところ、届いたのは三倍速という代物。正規版なのに、目の青さえ青とは見えない画質のもので、これでは日本版は出せないはずよねえ、と妙な納得をしたものでした。
 店頭でたまたまDVDをみつけて即購入したのはそれから四、五年後。スクリーンの中の男に憧れる季節はもう疾うに過ぎていても、久しぶりに見てみればやはりいい映画、好きな映画でした。冒頭とラストのシーンも、そして音楽も素晴らしかった。つい、家では聞けないサントラのLPまでネット・オークションで買い込んで、最後の曲名("The Death Of Blue"!)に、
(死んでるじゃない、完全に)
 とあらためて呆れたりもした、という次第。
 CDは今も入手できずにいますけど、ついこのあいだ、youtubeに全曲がアップされているのを発見したばかりですので、そのURLを──あなたのデビュー記念に──お知らせいたします。

 どうぞお元気で。またお便り下さいな。 
                            尚子

 3.22.
 先週は三好君からの久々のメール(しかし、どうして毎度人の住所をなくしてくれるんだ?)。今日はも
っと久々の西野さんからの連絡、しかも、初メールでの。
 どっちももちろん嬉しくて、人の気配っていいなあ、とはしみじみと思うのだけれど、前のが来たのは人が一人死んだから、あとのは、少なくとも来たきっかけの一つは、人が別れたから。
 通夜や葬儀で親戚が久々に集まるたびに、
「この次はなにかいいことで、こんな風にみんなと会いたいねえ」
 なんて、だれかが必ず言うわりには集まるのは結局また葬式で──というようなこととは少し話が違うのだろうけど、年をとると、義理は欠けない良くないことでもない限り、人と人はあんまり会わなくなるのかも。「家庭の幸福」は、その中の人を外の人と隔てる囲いのようなもの、でもあるわけなのらしく、フリーランスの・もういい年の独身の女なんかは、うかうかしているうちに戦友に死なれたあとの横井さん並みに孤立してしまう。

 午前のうちに紙の買い出しに行って戻ったら、ヤフーから例のボックスの出品があった、との通知メールが届いていた。開始価格は一万二千円、送料も込みというのだからずいぶん安い。早速調べてみると、中古マーケットの最安値は目下は一万八千円。手数料を引いたってむしろ儲かるわけじゃない? とつい心が動く。残り七日では無理な気もするが、
(そのまま、そのまま……)
 これもまた、祈るように思う。
 しかし、「これ」もこの前のあれも、祈りは金がらみのことばかり……。

 From : 北澤尚子
 Subject : タイトルの件
 Date : 2016.3.23 21:32:09:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 早速のご返信をありがとう。アハハ、あなたが今も『ブルー』とだけ(またしても)頑固に書いて、決して『血と怒りの河』とは書かない気持、ほんとによくわかります。あの邦題には私たちは大不満だったのだから。なぜ原題のままにしておかなかったか、そしてもっと内容に合った売りかたをしなかったのか。風間さんとあなたと三人で、
「ブルーが青っていうのぐらい、むしろ、知らない人の方が少ないじゃないねえ」
「ねえ……。原題通りにしておいて、ポスターにもいい写真ちゃんと使ってね? 若い女の客呼べば、大ヒットになったかもしれないじゃない。ほら、『ガラスの部屋』とかさ、ああいう風に」
「そうよ! あんな、猫がシャーッてやってるみたいな顔じゃなく、きゃ、綺麗……っていう写真を使わなくっちゃ」
「そんなシーン、いくらでもあったじゃないね、あの映画には」
 なんて言い、声を揃えて、
「バッカだねえ……」
 長い溜息をついたものでした。

 あのとき私たち、日本の配給会社のセンスだけが悪いと思っていたでしょう? でも違ったようなのね。例のVHSを買ったとき、もしかしたらオリジナルのポスターも、と思って調べてみたんです。もちろんあって、手に入れることもできそうではあったけど、これがじつにセンスの良くないものでした。絵がへた、色が貧相、構図もよくない。あんなものはいらない。
 もっとましなポスターを出していた国もあるのではないの、とほのかに期待して、まずタイトルから調べてみたら、フランス版のは『エル・グリンゴ』で(これはよそものの方のニュアンスなのかしら、アメリカの白人野郎というよりは)、スペインでは『河の中の地獄』、ドイツでは『激流のほとりの地獄』、トルコでは『復讐の河』と、このあたりは日本と近い線。わりにましだったのはイタリアの『氷の瞳』、フィンランドの『ブルー - 沈黙の戦士』ぐらいのものでした。
 ポスターのデザインは推して知るべしで、殺伐なものばかり。監督の名前のせいで、マカロニ・ウエスタンだと思われて? シルヴィオ・ナリッツァーノって、イタリア系のカナダ人なのに。
 そう、私もできれば『ブルー』で通してみたい。でもどうしてか、公開時の正式な邦題ではないのを言うのは照れくさい、みたいについなるらしい。
 名前といえば、昔、風間さんが怒っていたじゃない?
「オオイヌノフグリって、なによ! つけたの絶対、牧野富太郎よ、このセンスの無さ加減」
 って。
 種子の形が犬の陰嚢に似ているイヌノフグリに似ていてやや大きい。そんなつまらない理由で命名しないでほしい。こっちの種子はハート型なのに、それにヴェロニカ・ペルシカ、天人唐草、または瑠璃唐草と、もっとずっといい呼び名がほかにいくらもあるのに。やめてほしかった、とは私も大いに思います。でもどうしてか、ルリカラクサの花が咲いてとは人に言いにくい。これも理由は同じで、じつは案外、「正式」に弱いところがあるのかも? もしそうなら結構問題ね。

 どの国もこの国も、いかにセンスの欠片もないポスターばかり作ってくれたか。一見にしかずではと思いますので、添付して二、三送ります。まあ、笑ってやって。
                            尚子

 3.24.
 今朝もまた押入から音がした。バタンではなく、風か、遠い海鳴りに似た音だった。それとやはりなにかが動く音、ガサ、ガサというような音。
 一気に引き開けてはいけない。そのことはよく知っている、という気がするから細く開け、注意深く体を横にして、そーっと入る。馬の背の上にもういる。白いたてがみの馬の背に二人で乗って、一面の葦原の中を「私」は逃げている。馬が進むたびに葉が擦れ合って、シャラシャラと鳴る。パカパカ、シャラシャラ、シャラ。今ココニイル、と告げているようなこの音は、追手の耳にももう届いているはずで、その証拠にはとでもいうように、かすかな音がうしろから近づいてくる。打ち寄せる遠い波に似た葉の音、何頭もの馬の蹄の音。
 もう間に合いはしないが、それでも下りて、地上に身を伏せている方がたぶんいい。そう言いたい。でも声が出ない。これから起きるはずのことも、私はよく知っている、と思ったら、どきどきしてき過ぎて目が醒めた。醒めてからもしばらくゼーハー。
 というわけで、またあの映画、また小半日は余韻めいたものの中。
(なんなんだ? この状況は……)
 そうも、ほのぼの寄りどころではないではないの、とも思うが文句は無論ない。箱はこれでいこうと初めは思っていたぐらい、好きな場面なんだから。
 ここはもう、都合がどうとかいう話じゃない。あるじゃない? いや過ぎて始終気にし過ぎたあまりにほとんどもうお気に入り、みたいなものは。遅い夜明けを前にしたスガンさんの山羊、『雄呂血』の大殺陣。ああいう、絶望的で美しい戦いみたいなものの、なぜか、見る前から熟知していた気のするイメージは。
 追われて逃走することと、狼との、あるいは「雲霞の如き」討手との戦いとをこうやって──当然でしょうとでもいうように──ごっちゃにしたがることからしても、この悪い趣味はたぶん例の闘争か、逃走かという事態のためのナニカに由来するんだろう。危機用のデフォルトのアプリというか、あらかじめ脳に組み込まれている反応の装置とかなにか、その種のものに。
 たまには見る逃げる夢、もっとたまには見る戦う夢も、暇な脳がしたがる装置の試運転、または、シャドウ・ボクシングの類い。
 でも映像自体もここはほんとにいいのだ。山賊一味による襲撃から無人の店でのジョアンのピンチ、ブルーのマヌエル殺害と馬での逃走、村人たちの反撃と続くくだりは俗にいう「アメリカの夜」、昼にフィルターをかけて撮影した疑似夜景なのだろうが、空の鮮やか過ぎるほどの青が景色をかなりシュールに見せていて、
(これは、よく御存じのはずのあの悪夢。ほら、だから、なにか懐かしいでしょう?)
 耳もとに囁かれている感じがするあたりがじつによく、馬も、葦原もいい。疾駆する馬、茂る葦原(または、薄原)。どっちも今も好きだが、若い頃には、もうオブセッションかしらと疑うほど好きだった。
 もしかしてほんとにそうで、馬は逃走の手段、茂る葦や薄はシェルターだったとか?
 で、今朝の夢の「私」って、アントニオの方なのか、それともうしろに乗ったブルーその人だったのか。 つまり「私」は、あのあとすぐに死ぬのか、ではないはずだったのか?

 夢の外は今日も雨。トリチウムその他いろいろを含むらしい雨。私は一日をほぼバイトのトレース作業に費やして、ほぼ引き籠りで過ごす。宅配さえ今日はないからものも言わぬまま、人とも会わないまんま。中との落差のなんとまあ、激しいこと……。
 ドラマのない日常の嘘臭いメリハリとして、この数日はヤフオクをせっせとのぞく。入札はまだない。千載一遇の好機なのではないかしら、とややわくわくしながらあと四日を待っている。

 From : 北澤尚子
 Subject : とり急ぎ
 Date : 2016.3.24 23:30:17:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 お尋ねの件ですが、あのDVDはアマゾンでも楽天でも普通に買えます。新品でも二千円まではしないはず、中古でよければもっと安く買えるはず。是非買って、久々に見たご感想などお聞かせくださいな。あのビデオとは違って、映像もほんとに綺麗なものだから、とくに色彩が。
 疑似夜景がそれと少しわかり過ぎる気もするけれど、昔は感じないでいたことなのだから、デジタル化をするときに色をクリアにし過ぎたせい? 単に前は気がつかなかっただけかしら、ブルーにばかり見とれて。
 ではまた。
                            尚子

 3.26.
 曇りのち晴れ。晴れてもそう暖かくはならず、日が傾けば寒の戻りかしらという温度。タマがまだいたら、電気ストーブを早くつけろと言われそうなような温度だ。桜は足踏み状態、こちらはまだ引き籠もってトレースばかり、という状態。
 早くサバトラにとりかかりたい、とりかかる前にせめて一日は休みを入れたい。さっさと片づけて、結果として時給を上げたい、と思うから、手も気も急く。料理まで急いで造って急いで食べて、あとは買い出し兼散歩、少しネット、CDを聞きながらの晩酌ののち、ひたすらに寝る。こんなのが続くと、日の残滓という程度の夢さえ見ない。機械なんかの部品の絵だからでもあるが、そもそもパソコンでの作業自体、夢の敵という気がしなくもない。
 でも確実に・定期的に入る金はある方がいい、
(あるだけでもありがたい、というほかはない御時世なのだから)
 そう考えておくことにして、黙々と線を引き、ときどき、なんていい腕なのかしらと自画自讃する。早い、うまい、安い。まるで牛丼屋のキャッチコピーだ。

 3.27.
 今日もまた曇りのち晴れ。そしてまた日がな一日、トレース作業。
 さすがに気分が滅入ってくると、夢の素にならないものでもとか理屈をつけて例の方面の検索をしばらくはする。今日、えっと呆れたのは某社のデータベースで、そこの「あらすじ」によると、
「本能的にジョアンを助け、マヌエルを撃ち殺した。そこへ駆けつけたハビエルとアントニオ。ブルーを逃がそうとするアントニオをハビエルは殺した。ブルーも瀕死の重傷」
 話が違うじゃないの、これじゃ。
 かねてからブルーに敵愾心を燃やすハビエルは、呆然自失の義弟を置き去りにして無事にメキシコへと戻る。もう一人の義兄(または義弟)、アントニオはブルーを促して馬に相乗りして逃げる。まずはアントニオが追っ手に撃たれ、馬から落ちかかる。支えようとするブルーも胸を、次に腕を撃たれて手を離し、アントニオは落馬。追い立てられてやがて逃げ場を失って、観念して膝をつく。取り囲んだ追っ手のうちの一人が、その後頭部をためらいなく撃ち抜いて、というのがほんとうで、それがリンチだとはっきりわかるように撮られているところがいいし、葦の葉と蹄の音が追われる側が聞くもののように聞こえる点も、その間、セリフも音楽もなにもないのもいい。そう、「悪夢としての既視感」みたいなあの感じがじつにいいのだ。
 ああそれなのに──なんて書いている場合ではない。そろそろ作業に戻らなくては。

 3.28.
 精を出した甲斐あって、昨夜は案外早めに終了。おかげでだかどうか、久しぶりにあの続きを見たらしかった。らしかった、というのは目が醒めるまでにやや間があって、醒めたらもう大半を忘れていたから。ただ、鮮やか過ぎる青い空の下にまたいたような気がした、だれかがすぐそばにいた、というのだけをぼんやりと憶えていた。そのだれかがいることが、夢の私にはひどく嬉しいことなのらしかった。
 夢の外はまた雨、三日ぶりの雨。
 ぽたり、ぽたりという雨垂れの音を聞くうちに、昔読んだショートショートのSFをまた思い出す。星新一の作で、宇宙船で探査に行く話。目的地の天体には未知の赤い液状の物質があって、触れればヒトは溶け、自身も赤い液体となって死ぬのだ。結局ただ一人が生きのびて帰途につくのだが、操縦席で安堵する男の上に、ぽたり、としたたり落ちるものがある。もともとは死んだ仲間の一部であったからということなのか、赤いその液体は、
「どこか、懐かしげな表情を湛えていた」
 それがたしか落ちで、たしか朝日の日曜版あたりで読んで、読んだことを深々と後悔したものだった。あれからはもう五十数年経ったのに、あまりにもいや過ぎて、例によって今でも忘れない、どころではない、あの事故以来、雨が降るごとにこんな風に律義に思い出し、『ワルツィング・マティルダ』まで脳内には鳴り響く。べつに、ごっちゃにしてみたっていいじゃない、似たような頃のものなんだから。今なんてもう、『風が吹くとき渚にて(でも願わくは、いくらかはスローモーションで)』みたいなことなのだから。
 ヒトは、やがてはくる滅亡のときを座しては待てないものらしく、自分の方から滅びていく気でどうやらいるものらしい。ヒトがヒトとして生きるなんていう不気味の上に、昨今ではその種の余分な不気味までが積もりに積もり、なににどう怯えていればいいのかもよくわからない。でもまあ、「死ぬことはないかのように、文明は永遠であるかのように」生きていかなくてはともいうじゃない? そのどれもが真っ赤な嘘だとはわかっていても。
 長い年月、シャドウ・ボクシングを無駄にしてきたつもりもない。この山羊だって、
(一つ、立派に戦ってみようではないの……)

 3.29.
 昨夜。
 久々の国会前からよろよろ帰宅。だめだったんだろうなあ、とは思いながら確認したら、なんと無事に落札できていた。それも開始価格のままでの落札。ひどく遅い夕食を作る気力を取り戻し、冷蔵庫をさらえて作った献立は、切干、ネギ入りの台湾屋台風オムレツ、稲荷納豆、海苔の叩きにゴーヤのおかか和え、ビール。炊きたてのご飯に粗塩だけのお握り、緑茶で締めて、再びのビール。
 酔いがやや回ってくると、あれはいつのことなのかと調べる気力もまた取り戻してしまう。
 星新一、宇宙船、赤い液体。三つのキーワードですぐタイトルは『帰路』だとわかり、「懐かしそうな表情を湛えた」の一節も事実あったものとわかる。星新一の公式サイトでリストを見ると、初出は朝日新聞、六一年。ほぼ記憶の通りよねと思ってから気がついた。私ハ、などと思っているこの私だってやがて死ぬのだ、ということが不意に腑に落ちた年の前年ではないか。
 ということは、案外そう不意なのではなくて、伏線はあったということか、じつは。

 六二年の夏に、池袋に映画を見に行った。ディズニーの実写で、タイトルは『罠にかかったパパとママ』。姉と私が初めて字幕つき、原語で見た洋画がこれだった(姉の記憶では、アステアの『足ながおじさん』だったはずというのだけれど)。
 私は夢中で話題の「天才」子役、ヘイリー・ミルズの二役以下いろいろのものに見入ったが、今でもよく憶えているのは映画自体のことではない。始まってからかなり時間も経った頃、壁の時計にふっと目がいった、その方だった。緑色に光る長針の位置からすると、残りはもう二十分ばかりしかない。なんということ? この楽しいひとときにもじき終わりが来るなんて、と考えた次の瞬間に、ああ、私の時間の全体にも終わりはいつか来るのだ、と、なにものかが降るように気づいたのだった。
 日本での公開はその年の三月十日。ただし、私たちが行ったのは大ヒットをうけてのムーブ・オーバーの方で、主題歌の『 レッツ・ゲット・トゥギャザー』はヒット・パレード番組をすでに賑わわせてなんていうのは、数年前調べたからよく知っている。そう、よく知っている、この種の検索、確認癖がすでにかなりの線、アディクションに近いということは。とはいうもののあれとこれとがカチリと噛み合って、なにかが見えた──と感じる瞬間の、この気持良さ、この気味悪さときたら。
 そして年月がうしろへ、うしろへと遠のく速度のこの早さといったら……。

 それで思い出した。
 新幹線だったかどうか、乗った特急の隣のブースで、五つほどの女の子が窓の外の景色にじっと見入っていた。その子を見ている私もまた家族連れの一員だった、というのだから遙かな昔の話。その子が、
「あそこにも、ほら、あそこにも」
 指でさしていたのは鯉幟のことなのだから、連休の前半頃の話だった。
 通過中の水田地帯では、幟の数はあまりに多過ぎ、うしろへと景色が流れていく速度はあまりに早過ぎた。ほら、ほらと繰り返して言ううちに声はかぼそくなっていき、とうとう、隣にいた母親の膝に突っ伏して、
「お母さん、もう気持わるい」
 精いっぱい、子供なりにひそめていた声と、初めのうちの嬉々とした気配。緑一色の──パーマネント・グリーン・ライトだとかそんなような色の──田んぼ。巨大な目刺しかシシャモに似た鯉幟、吹き流し、雀おどしの金と銀のテープ。音もなく、厚いガラスの向うで吹き続けていた初夏の風。
 ただの言葉の連想から引き出されてきただけの場面の記憶が、外の空気(のようなもの)に一旦触れればこんな風に一人歩きをし始めて、今をひととき遠い過去にする。脳って、外部の刺激が足りなくなると、こうして刺激のもとを作り出してはせっせと遊ぶのだ、たぶんね?
 笑い声を抑えている私のすぐ隣では、こっちの一家の母親がやはり無言のまま吹き出している、向かいで父は寝ている。姉のいる席からでは話の次第は見えにくく、怪訝な顔で母と私の顔を見る。あとでね、この話はちょっとあとでね。母と私が同時に出した、同じようにひそめた声がユニゾンになって重なる。
 そう、あの時分には、私と母とはよく同時に同じことを言い出したりしていたものだった。相手にチューン・インしていたのは主にどっちか? たぶん私ではという気が今ではするが、いずれにしても、母と私のあいだの領域のどこまでがだれの気持で、どの地点からがもう一人のだれかの気持であるのかは、あの頃には判別しにくくて──なんていうのは、過ぎる速度の早さとはもう関係ない話。でもこれもまた、
「お母さん、もう気持わるい」
 についての話、ずいぶん、意味は違う話。

 From : 北澤尚子
 Subject : 朗報
 Date : 2016.3.30 11:05:28:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 DVDを無事にゲットとのこと、おめでとうございます! そうしてだんだん、ネットでの検索と買物に人ははまっていくのよ。
 はまって久しい私の方は、本日、あの映画のサントラ盤(ちゃんとCD)を発見してすぐ購入。これは明後日昼までには手もとに着くだろうと思います。ギリシャからの輸入盤のようで、マノス・ハジダキスご本人のレーベルから出ていた正規の品だとのこと。解説もちゃんとしたものがついているのでは、もしかするとボーナス・トラックも、などとちょっと期待中。解説がギリシャ語だけではないことを心から祈っています。あのギリシャ文字を一つ一つ打ち込んで、翻訳サイトでまず英語にしてなんて、想像してみるだけでもうんざりすることだもの。
 え、ほかには話題はないのって? まさか、でもないけれど、話せば長い長いわけあって、ここのところリバイバル中なの、私の中では。
 それに、ない? 昔特別に好きでいたようないろいろのものを、
(今見てみたら、どうなんだろう)
 そう思って見直すみたいなことは。私は結構よくしている気がします。かつての愛読書を読み直し、あの映画、この映画を再び見、無論、エルヴィスもまた聞き直し……。昔とほぼ同じようにああいいなと思うもの、今の方が一層いい気がするものも、もういらない気のするものもある。
 もしかして、この先の日々の手荷物として残しておくもの、ではないものの選別でもしているのかしらね。
 ではまた。
                            尚子

 4.2.
 雨の時折りぱらつく花冷えの一日。幸い、ほんの小降りで、あと何日かはまだ見頃が続いてくれそうだ。
 昼前に、予定よりは一日遅れてCDが、午後一にはDVDボックスが着く。
(さあ、どの回から見たものか?)
 その思案をする前にまずはCDから確認。付属の(二八ページもの!)小冊子の半分までがギリシャ語、残り半分が同じ内容の、しかも、私にでも読めそうな英語だったことにほっと安堵し、その内容がまさに知りたい話の界隈らしいのには一人、雀踊りをする。
 それにしてもまあ、字の小さいこと。パチ、パチと写していくだけだって一苦労だけど、これを日本語に訳すとなると、ねえ……。高校、大学と、英語の授業を大方寝て過ごした私がバカだった、なんて、今さら後悔してみたって遅いのだけれども。
 なんにしてもこの「資料」、ポワロのDVD、もしかすると夢の続きと、いいおもちゃ、またはバンドエイドには当分当分、事欠かずにすみそうだ。
 ふふふ、そうよ? 孤独って耐えるものとかではなくて、こうして飼い馴らしていくものよなどと思ってちょっとハイ。
(時計の針は、さあ、今は、どのあたりを指しているんだろう)
 とは思いつつの束の間のハイ。

 
From : 北澤尚子
 Subject : え、カタストロフィー?
 Date : 2016.4.5 09:03:17:JST
 To : 西野洋子

 洋子様
 開花まであと二十日ほどですって? 札幌ってほんとうに北の国なのね。あらゆる花が次々に咲き揃うという時期はもっともっと先でしょうか。母からもいろいろと聞き、一度はいあわせてみたい、とずっと夢見ながらまだ果たせてはいません。毎年体験できているとは、もう羨ましい限り。

 CDはあの翌々日無事着きました。
 2001年に出たというわりには音の方はまあまあでしたけど、ジャケット、付属の小冊子共に上々の出来。モノクロの写真の選択、ブルーグレイをわずかに配した色使い、ロゴも含めて、この映画と音楽とを大事に扱っている、という感じが伝わってきて、いいものでした。祈った甲斐あって冊子にはちゃんと英語の、それもかなりいい資料が載っていたしね。その内容はまさにあの映画についてのマノス・ハジダキスによる回想、撮影当時に出したやはりハジダキスの手紙の抜粋等々。たぶんギリシャ語から訳したからなんでしょう、大変、わかりやすい英文で、英語力は中学生レベルの私にでもほぼ理解はできました。
 でね? 意味深長なことには、手紙では、
「ナリッツァーノは、ハリウッド中の映画会社で、『血と怒りの河』の音楽が評判になっているとぼくに言う……。でも、ぼくの宣伝マンのうちで一番活気があるのは、ロサンゼルス交響楽団の団員たちだ。演奏し終わるとスタンディング・オベーションをしてくれたうえ、一人、また一人と握手を求めにきたのだからね」
 右の調子だったのに、その回想の方の最後には、
「映画の完成後には、大きな災厄が訪れた」
 に始まる一節があって、
「そして、私は、オデュッセウスのように悲しみを胸に抱いて故国へと帰っていった」
 に続いていたりする、という……。
 あいだにはまあ、この映画の関係者それぞれを襲った個人的な「災厄」が列挙はされているけれど、どうも、単に、一人一人にたまたま災厄が、というような話なのではないらしい。それはそれとして、「みんな」にとっての大災厄もなにか訪れた、みたいなことで。
 災厄(disaster)に当たる言葉だけ、ギリシャ文字をなんとか打ち込んで調べてみたら、カタストロフィーだったから(この言葉、もとがギリシャ語だったとは今まで知りませんでした……)、なにか半端なことではない惨事、当然、映画そのものに関する大惨事であったはず。
 私はたぶん、大コケだったのだろうと想像してみています。チープなVHSしか出なかったのも、そのせいじゃない? こっちでの、ロードショーとは名ばかりのおざなりで短かいあの公開も、じつは向こうでの不評の影響だったんじゃない? 日本でたまたま見た人の受けが軒並みいいだけに、
(一体なんで、大惨事というほどの?)
 興味津々になり過ぎたあまり、テレンス・スタンプの──三冊目の──自伝まで注文、無論英語なわけだから、届いてみたら "all Greek to me"かもとは怯えつつ、その到着を待っているところ。

 DVDに大感動! のお電話までいただいたしと、つい図に乗ってこの話ばかり。困ったもんです。次はべつの話をね。
                            尚子


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