夢で逢いましょう

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 オレノ名前ガ、と言い間違えて、オレノ名前ハとまた言い直す。
 オレノ名前ハ、青。デモソレハ、ホントウノ名前デハナクテ、ドウイウカ、ソレハ。
 綽名かと訊くと、かすかに笑い、ソウ、ソレハ、アダナとたどたどしく繰り返す。でもホントウノ名前ハ、とはあなたは言い出さず、こちらからもあえて聞きはしない。
 おそらくはその名前を口にしたくはない。だって、ホントウノ名前ってとても効きめの強い呪文だから。言えばたちどころに開く千ものドアがひそんでいるはずなのだから、そこかしこに。
 たぶん、頭の中で音にしかかっただけでもドアは軋み出し、すぐに閉めてもするりと隙間からすべり込んできてここを
過去のべつの場所に変える。
 いつか見たものが。いくらか遅れて、いつか耳にしたものが。手触りと、そして匂いが。
 そう、中でも手ごわいものは、匂い。
 四月にひらく青いテキサスのルピナスの匂い、牛や馬の、犁を入れてまだ間もない畑の匂い、長い金色の髪を梳かすときのほのかな匂い(とても、好きだった匂い)。あなたの短い髪に残ってしばらくは消えない匂い、煙の、焼け落ちた家の匂い、その匂いが連れてくるまたべつの煙の匂い。銃口から細く立ちのぼる白い煙の、笑いながら殺してきた男たちの血の匂い。喉の奥からひろがる腐ったモハラと鉄の味のする匂い。
 ほら、だからね……。
 けして口にはされないままに、あなたが死んだあとには、思い出されることさえも一度もないままに長い時が降り積もる。呪文の上に。その呪文が呼びさますはずのいくつもの記憶の上に。
 ポンペーイの町に、鎖につながれたままの犬の上に厚く灰が降り積もったように。
 そして、朽ちた記憶の形をした雌型、流し込まれる石膏を待っている暗いいくつもの洞を、私は、夜の夢の中で見る。


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