夢で逢いましょう

7



Naoko's web site 別館
 ──La Casa Azul(青の館)──

1968年製作の映画、『血と怒りの河』を偏愛する人々のためのサイト。主に、この映画の関係者を襲った(らしい)大災厄とはなにか? の究明を目的とする期間限定のクローズド・サイトです。 なお、管理人の独断により、サイト内に於ける文献引用、画像使用に関しては、著作権等への配慮は敢えてしていません。無用のトラブル防止のため、当サイトからの記事の引用、画像の再転用等は、「これを固く禁じます」ということで何卒よろしくご理解のほどを。(管理人より)


〈第1回〉
更新:2016.4.11

「この映画のタイトルはとても好きだった、ブルーという言葉自体が好きだったんだ……。好きな色なんだよ、青は。空のようだし、ぼくの目の色でもあるしね」(テレンス・スタンプ、一九六八年の掲載誌等は不詳のインタビュー)

* *

〈基本データ〉
邦 題 : 血と怒りの河(ちといかりのかわ)
原 題 : Blue
製作年 : 1968年
製 作 : ケトルドラム・プロダクション(アメリカ)
配 給 : パラマウント配給
ジャンル:西部劇
上映時間 113分
VHS(トリミング版/3倍速)発売日: 1998年11月11日
DVD(スコープサイズ/モノラル)発売日: 2005年8月19日
OST : アナログ盤LP発売1968年 ギリシャ版CD発売2001年

〈キャスト・スタッフ〉
監 督:シルヴィオ・ナリッツァーノ
製 作:アーウィン・ウィンクラー、ジャッド・バーナード
原 案:ロナルド・M・コーエン
脚 本:ロナルド・M・コーエン、ミード・ロバーツ
撮 影:スタンリー・コルテス
アクション監督:ヤキマ・カヌート
音 楽:マノス・ハジダキス
衣装デザイン:イーディス・ヘッド
出 演:テレンス・スタンプ、ジョアンナ・ペティット、カール・マルデン、リカルド・モンタルバン、スタチス・ヒアレリス他

〈各国でのタイトル〉
"Due Occhi Di Ghiaccio(氷の瞳)"──イタリア
"El Gringo(よそもの)"──フランス、ベルギー
"Infierno en el rio(河の中の地獄)"──スペイン
"Inferno am Am Fluss"(河のほとりの地獄)"──ドイツ
"Blue - hiljainen taistelija"(ブルー、静かなる戦士)"──フィンランド
"Duas Pátrias para um Bandido"(山賊の二つの故国)"──ブラジル
"Intikam deresi"(復讐の河)"──トルコ
"Benim Adim Mavi(我が名は青)"──トルコ※


トルコでのタイトルとしてはこの二パターンが存在。公開時のものと、DVD発売時のものなのかもしれないが、事情は未詳。ちなみに後者は、トルコ人として初のノーベル賞作家となった、オルハン・パムクの九八年の小説『私の名は紅(Benim Adim Kirmiz)』の「色違い」。

〈日本公開時の惹句〉
「鮮血を呼んで激烈‼ 雄大な決戦の河リオ・グランデを挟んで攻防壮烈の争い‼」
「いま、抜いてはならぬ‼ 抜くときが来る……
 ガンベルトに怒りの手をかけて静かに待つ……
 青い瞳の男その名〈ブルー〉 テキサスへ帰って来た 野性の男〈ブルー〉‼」

* *

『遥かなる戦場』と『バンドレロ』のあいだの穴埋めとして、今一な惹句と共にかなり慌ただしく公開された、上映期間もわずか二週間だった──というわりにはこの映画の日本での受けは概していい。
 淀川長治は、公開の年の「スクリーン」の十月号で、
「イタリアのマカロニ・ウェスタンとイギリスの『嵐が丘』のその二つの激情をここに一つにとけこませ、とくにこの映画のラスト・シーンの悲劇は、映画の名文章とはまさにこれといえるほどの華麗なるムードを盛り上げる」
 とほぼ絶讃。双葉十三郎も、同じ号の「ぼくの採点評」で『男と女』『シベールの日曜日』などと同じ数の星(☆☆☆★★★)をつけ、
「異色で新鮮なタッチの西部劇を見た、という感じは、内容はまるでちがうが、『シェーン』を見たときと共通したものがある」
 と記している。四年後にやっと『月曜ロードショー』で放映された折にも、解説の荻昌弘が、
「さあ、お待たせいたしました。『血と怒りの河』です。映画好きの方は、今日は走って帰宅されたでしょう」
 と嬉々として言うなど、当時の代表的な映画評論家が打ち揃って高評価。では観客は? とネット上をしばらく渉猟すれば、DVDリリース前のものとしては、

「例えていえば、〈マカロニ・ウェスタン〉テイストの『シェーン』や『白昼の決闘』といった感じでしょうか。実に感動的な映画」──kgwk72、年不詳「高松スカラ座で観た・好きな洋画ベストテン」
「私にとっては、忘れられない映画」──cooldaddy、1998「マイ・シネマ館」
「なんとか、DVD化してほしい佳作」──mr.darcy、2001「allcinema」カスタマーレビュー
「これは決して忘れ去られていい映画ではない」──Terry Minamino、2002「パソコンお笑い日誌」
「マジで超名作!!」──稲本作蔵、2004「Foolkiller Movie Death Trip」

 そしてようやく出て間もない頃は、

「最も好きな作品の一つ」──老レンジャー、2005「VIVA!西部劇」
「叙情と非情が巧みに合わさった、ちょっとした拾い物の佳作」──増當竜也、2005「Oriconデータベース」
「悲劇的ドラマ性の強い異色ウエスタンのクールな傑作」──馬場敏弘、2005「TOWER.JP」
「西部劇というだけでなく、映画としての魅力あふれた作品」──ノスタル爺、2005「ノスタル爺の日記」
「有名じゃないが凄い逸品だ」──CABIN、2005「CABIN'S CABIN/映画寸評」
「監督も含めて、本当に素晴らしい映画」──アリソン、2007「allcinema 」レビュー

 DVDが出ていくらか時が過ぎ、BSでも放映後のつい近年も、

「透明感あふれるクールな西部劇。大好きな作品だから早くBD出してくれ……」──funomiyako、2015「映画の全ジャンルの備忘録」
「ラストも号泣。本当素晴らしい。西部劇あまり本数観てないけどこれ一位の勢いでした。超名作」──シスタールゥ、2015「filmark」レビュー
「予備知識なしで見たのですが、これ、名作と呼ばれるに値する映画ですね」 ──odyss 、2015「ぴあ映画生活」レビュー
「歴史に埋没して欲しくない、一九六〇年代後半に登場した佳作西部劇と断言」──夢童隣寝、2015「ぴあ映画生活」レビュー

 こんなぐあい。無論今一だったというレビューもなくはなく、ことに、スカッとしたアクションを期待していた向きにはピンとこないものだったらしい。その種の人ばかりが集まりでもしたせいなのか、「みんなのシネマレビュー」では10点満点中5.5点と評価はかなり低い。
 でも、allcinemaのカスタマー・レビューは同じく10点満点での7.25点。5点満点のfilmarkでは3.7点、同じくのアマゾンでは4.25点(2016年4月現在)。
(こっちは結構高いじゃん……)
 といったって、存在自体がそう知られてはいない映画なわけだから、どのサイトでもレビュー数自体が二桁未満。いいにしても悪いにしても、「みんなの」意見だとは言いにくい。
 ただし、気に入った人にとっては思い入れがずいぶんある映画、レビュー投稿欄、掲示板で、またはブログで熱く(しかも、かなり長く)語りたくなる映画なのではあるらしい。かつて映画館で見ている人にとっては、長く見られずにいただけに一層、幻の映画として記憶に残りもしたようで、

「もう二十年は見ていませんでした。テレビでもやらないし、ビデオもないし。アー死ぬまでにもう一度見たいナー、そう思っていたところ先日DVDがあることを知り狂喜乱舞しました」──ウェイン命、〇2006「西部劇作品別ブログ」

 似た思いを語る人は一人や二人ではなく、

「子供のころたった一度、それもテレビで見ただけなのだが、長年心に残り、私にはいまも忘れられない一本だ」──Terry Minamino、2002「お笑いパソコン日誌」
「三七年前にテレビで一度見て以来、忘れられずにいた映画。ソフト化を待ち続けていた映画」──運命の猫 、2012「見た映画、読んだ本」
 とあるように──BSでの放映以降のレビューを見てもわかるように、映画館で見られた世代だけの特殊な好み、というのでもべつにないらしい。
 そして、気に入った人々の多くが、

「あまり語る人のいない不幸な作品なのである」──Terry Minamino、〇二年「お笑いパソコン日誌」
「これほどの作品でありながら世評にはまったく上りませんでした」──ウェイン命、2006「西部劇作品別ブログ」
「何故だか恵まれない映画」──眠たい馬、2006「ツタヤ」カスタマーレビュー 
 と首をかしげつつ揃って絶讃するのは、

「五つ星のうち、一つはローリンド・アルメイダのギターに、一つはラスト・シーンの大俯瞰に。残る三つはテレンス・スタンプのあの青い目に」──2006「アマゾン」カスタマーレビュー

 右の無名のレビュアーも列挙する通り、マノス・ハジダキスの音楽とスタンリー・コルテスによる撮影(ことにラストの、たぶんヘリコプターを使っての俯瞰撮影)、そしてテレンス・スタンプの演技と存在感なのだった。

 少し長くなりました。今回はこの辺で。次回の更新は、近々届く予定のテレンス・スタンプの自伝、『Double feature(二本立て)』の当該ページ(もしあるとして)を解読して以降ということにどうもなりそうです。しばらく、お待ち下さいませ。

────────────────────

〈第2回〉
更新:2016.4.20

「その役の名前も、ラストシーンで派手な戦闘があるところも気に入った。彼が二つの文化の間で引き裂かれている点も。自分がどこにいるのかが、彼にはわからない──それは、むしろぼく自身が今感じていることだ」 (テレンス・スタンプ、一九六八年の掲載誌等は不詳のインタビュー)

* *

 予定よりいくらか遅れて海の向うから届いた自伝は、洒落た装幀のハードカバーの本だった。表紙にはかつての恋人、ジュリー・シュリンプトンとのファッション誌の口絵かなにかのようなモノクロの写真。中ほどのグラビアページには、おそらくは宣材として特別に撮られた写真──ブルーに扮したスタンプの、もう溜息が出そうなぐらいに美麗なアップの写真。
(なんで、こういうのをポスターにはしなかったのか?)
 今さらながら、もったいないことをねえ、などと考えながら、
(でも、これがここにあるのなら……)
 期待もしながらページをめくっていくと、やはり、この映画に言及しているのらしい部分はかなりある。「当該部分」を固有名詞を手がかりに探し出しては、パチ、パチと片端から引き写し、翻訳ソフト、辞書サイトを使いたおしてそこだけをなんとか解読。いくつかの記述には、ええっ、とかなり驚きもしたというわけなのだった。
 あれも言いたい、これも言いたいとなんだか気は急くのだが、まずは、主演男優本人が語るこの映画の粗筋などを。

「西部入植時代のまだ早い時期、幌馬車に乗ったイギリス人一家がメキシコとの国境近くにたどり着き、そこに農場を作る。一家には息子が一人いる。国境を越えてくるメキシコの山賊たちが始終入植者を襲撃していたのだが、少年の両親はそんな襲撃の折に殺され、家も焼き払われてしまう。
 リカルド・モンタルバン扮する山賊の首領は、まだ年端も行かないこの少年の命を助け、国境の南に連れ帰って我が子も同然に育てる──といっても、完全にではないのだが。両親の死を目撃したことがトラウマとなり、少年は話す能力を失う、あるいは、その能力を使うまいと心に決める。リカルドの実の息子を始めとする一味の面々は、肌の白いこの少年が高く買われていることに嫉妬しているが、彼の、時に暴発する残忍さ、銃やナイフの腕前には一目置かざるを得ない。。目の色から彼はアズール、またはブルーと呼ばれ、その金髪はいつもバンダナの下に隠されている。
 ある国境越えの襲撃の折にブルーは重傷を負い、村の農場にかくまわれることになる。農場の主は妻に先立たれた男(カール・マルデン)で、ジョアンナ・ペティットが演じる娘とともに彼を看病し、健康を快復させる。クライマックスでは、リカルド率いる山賊の一味がブルーを探しに戻り、彼は、二つの文化の間で決断を迫られることになる」

 右の粗筋に含まれる「ええっ」のその一は、「少年は話す能力を……」以下の箇所、その二は「イギリス人の一家が」の箇所、その三は、家を焼いたのは山賊たちで、ブルーを助けたのも同じ山賊の首領なのでは、ととれる箇所。
 中でも一番驚いたのは「話す能力を」という箇所だった。
 ブルーの台詞は、たしかにおそろしく少ないのだし、ことに映画の前半ではほぼ話さない(だけなのだと今までずっと思い込んでいたのでした)。加えて、ドク・モートンの家に匿われて以降の長い長い沈黙については、ついに最初の一言を発したときに、ジョアンに、
「沈黙の壁が崩れたわ」
 と叫ばせるほどに目につく事実として描かれてさえいる。
 にもかかわらず、私はただ漠然と、敵方の相手には(または、英語では)話す気がないだけなのだと考えていたのだった。山賊仲間といたときにもまったく無言のままだったとはとくに意識もしなかったのだから、迂闊なことと呆れるほかはないのだが、

「50分過ぎにやっとスタンプが喋ります」──mal、2012「Yahoo!映画」レビュー
「スタンプは物語の中盤まで、一切台詞のない見事な表情の演技を披露している」──キャルUK、2015「アマゾン」レビュー

 そうちゃんと気づいた人よりは、 

「すごく無口の彼」──jdapjg、2010「L'important c'est d'aimer」
「主人公は口数が少なく……」──Bronx、2012「ツタヤ」レビュー
「主人公のブルーは寡黙な男」──abu、2014「Yahoo!映画」
「影のある男! 青い瞳の男! 無口な男!」──シスタールゥ、2015「filmark」レビュー

 なんていう人の方が多い気はするから、迂闊だった観客は私だけとは限らない。
 それに、最初の発語("I'll do it")から数分後の二つめの台詞についてだったら、私にだってちゃんと気づいたことはある。オートミールを(初めは手づかみで、会話のあとではようやく匙で)食べながらジョアンと語る、この場面での台詞は、日英の字幕を総合すれば、
「ほんとに困るのよ、どう呼んだらいいのかがわからないままじゃ。そこのあなたとか、そこの君だとかずっと言うわけにもいかないじゃない」
「おれの名前が……、おれの名前は……、アズール」
「アズール! 青のことでしょ? スペイン語では」
「ほんとの名前じゃない。それは……、それは、どういうか……」
「ニックネーム」
「そう。──ニックネーム」
 右のようなもの。さすがに、映画館で二度目に見たときにはほぼ聴き取れて、
「"My name are" なんて言っちゃって……」
「可愛いよねえ、あの、たどたどしいしゃべりかた」
「いかにも、英語ずっと話してなかった感じでね」
「うんうん」
 同行の、同じくスタンプ・ファンの二名の女友達とも大いに盛り上がったものだった(えっへん)。とはいうものの、前半での沈黙がむしろ緘黙と呼ぶべきものだったとはだれも気がつかず、映画館でもう三度、テレビでもさらにもう一度見てもだれ一人として気づかない。しぐさや目顔で、あまりにも自然に「会話」をしていたせいか、みんな、ブルーの顔にばかり見とれていたせいだったのか?
 緘黙については、その当時は今以上に周知されていなかったように記憶するから、そのせいではないかしら、ということにしたい気もするが、そう自信はない。DVDで久々に見た十年ほど前も、私は気がつかないままだったのだから、
 この映画の瑕疵は、主人公の緘黙をめぐるこのあたりにあるのではとも、じつは、最近では思い出しているのだけれど、その話はまああとで、ということで、語られた「粗筋」のうち、実際とは異なる部分の確認をちょっとしておきたい。

 ドクの家に腰を落ち着け、束の間の穏やかな時間を過ごすブルーは、ジョアンと二人で散策するある朝に、その過去について初めて語る。背後に流れるもの優しい旋律は、サントラ盤CDの曲名リストによれば "Morning After Love"。
「この辺から出ていったのは、君たちがここに落ち着いた頃のことだったと思う」
 と、どこかぎこちなく、訥々と彼は語り出す。
「どうして、メキシコにまで?」
「落ち着けるところを探してだったんだろう。ほかの移民と同じだよ。うちがメキシコに落ち着いた頃、おれは、いくつかな? 五つか──たぶん、六つとか」
 そして気がつくと弦の音は鳴り止んで、ときどきの鳥の声、上空を吹く風のほかにはほぼ無音の中で、ブルーの──この映画での、唯一の──長台詞はさらに少し続く。
「始めのうちは、メキシコ人との揉めごともなかった。もちろん、その頃は一つの国だったしね。メキシコの人たちがいて、おれたちもいた。それだけのことで、隣り合って住んで、畑を耕していた。戦争が、つまり、テキサスについてのあの戦争が起きる前までは。──そしてある夜、親切な村の人たちが家にやってきた。朝までに立ち退け、と言う人たちに向かって、親父は、『追い出したければ焼き討ちでもするがいい』と言い、次の日、みんなはその通りのことをした。──そして、お袋も。 ことが終ると、臭いと、煙しかあとには残っていなかった……。おれは一人でそこをあとにして、歩いて、歩いて──草原の中で、またべつのメキシコ人と、山賊のオルテガと会った。オルテガがおれを育ててくれたのさ、身内の一人として」

 つまり、実際の映画では彼の両親は国境の北ではなくて、南の側に住みつくのだし、山賊にではなく、メキシコ系のかつての隣人たち( "nice people")の手にかかって殺される。オルテガはたまたまブルーを拾って育てただけで、その焼き打ちには責任がない。たしかにこちらの方が「ストックホルム症候群」かとも、「堅気の白人対無法者のメキシコ人」の話とも勘違いはされにくく、話がややこしくはなり過ぎない。
 台詞には、一家がイギリスから来たと思わせる説明はない。こっちはあった方がたぶんよく、
(一言でもいいから、ここに入れてくれてれば……)
 と思ったりもするのだけれど、その理由はここではちょっとおく。
 ネットの古本屋で購入した新書、『「民族」で読むアメリカ』(野村達郎著)によれば、ナポレオン戦争以降百年の間に、
「ヨーロッパからアメリカに移民した者のうちの四分の一はイギリスからの移住者」
 だというのだが、ナポレオン戦争の終結は1815年。そしてこれもネットの古本屋でようやくみつけた映画のパンフによれば、物語の年代は一八五〇年。焼き打ちの時期はといえば、テキサス独立戦争(1835−6)勃発のあと、というのだからその十四、五年以前。母国語がヒトに定着し、入れ換え不能になる年齢の下限は約十三歳(なのらしい)。オルテガの目に「年端もいかない」と見え、殺されずにすみそうな年の上限もたぶんぎりぎりその辺だろうから、事件のときのブルーの年は十三歳前後。逆算すれば、誕生は1822か3年、物語の現時点での年齢は二七、八歳。彼の見た目の年齢、撮影時のスタンプの実年齢は共に二十代の後半だから、どの点からも計算はじつによく合い、イギリスからの移住者の息子という設定にはなんの不都合も問題もない。
 自伝の書評ではことに「細部にわたる、ヴィヴィッドな記憶力」が称揚されているこの俳優が、自分が演じた役の国籍を忘れるとも思いにくい。
 その他の異同をも含めて、自伝のものは、出演が決まる以前に監督自身から、それも口頭で聞いた話なのではないかしら、と想像しているのだけれど、ブルーの役ですでに正式に契約もしていたロバート・レッドフォードが撮影の直前に降りた、という成り行きからしてみると、イギリスからの移住云々はもともとはなかった設定、スタンプのためのオプションの設定であったという可能性もまあありそうだ。
 完成した映画では、一家のその来歴は一度も示唆はされていない。史実からすればむしろ当然な話を、わざわざ台詞で説明することはない。そう判断したからかどうかについては、なにか推測できそうな資料は、目下は手もとにはない。

 次回はいよいよアメリカでの評判篇。今回以上に四苦八苦の解読作業となる都合上、更新まではかなり日数がかかる見込みです。今しばらくお待ちのほどを。

────────────────────

〈第3回〉
更新:2016.4.29.

「いい映画だよ。いい出来だしぼくもいい……。ぼくにとっては最初の、ほんとうの意味での商業的大成功にもなり得るのでは、と思っている。間違いかも知れないけどね」(テレンス・スタンプ、1968.6.12. シカゴでのロジャー・イーバートによるインタビュー)

* *

 前々回にも引用したTerry Minaminoさんのブログの、2002年のエントリーによれば、
「どういうわけかこの映画のアメリカでの評価は異常なくらい低い。『IMDb』では4.5/10(31votes)だし、『Leonard Maltin's 2003 Movie and Video Guide』では★1と1/2(最高は★★★★)で、"Undistinguished, poorly written Western" などと書いてある。また、『Video Movie Guide 2002』では、なーんと、最低ランクの"ターキー"である。なんでや。なんでおまーらにはこの映画の良さがわからんのだ」
 ほんとうになんでや? なのだが、この映画をめぐっては、どうも、なにかとんでもない事態が起きていたということなのらしい。
 ──つまり、海の向うでは。
 マノス・ハジダキスは、
「映画の完成後には、大きな災厄が訪れた。ナリッツァーノは交通事故で友人を亡くし、テレンス・スタンプはドラッグに耽溺して仕事の機会と金を失い、プロデューサーは妻に捨てられた……。そして、私は、オデュッセウスのように悲しみを胸に抱いて故国へと帰っていった」
 とのちに語っている(サントラ盤CDの付属冊子中のこの回想は、CDに二年先立って出版された彼の遺稿集、『鏡とナイフ』──エッセイとインタビューによる自伝的なコレクション──の中の一文ではないかという気もするが、出典の表記はなく、いつ書かれたものなのかも不明)。
 問題の回想は大体、以下のようなもの。
「1968年、ハリウッドは、フラワー・リヴォリューションの只中にあった。あらゆる種類の幻覚剤、および腰の性革命がそこにはあり、サンセット・ストリップの歩道では、熱狂的な若者たちが列をなしてフリー・ペーパーを売っていた。
 同じ時期に、パラマウントでは野心的な西部劇が撮影されていた。監督はカナダのシルヴィオ・ナリッツァーノ、出演はイギリスのテレンス・スタンプとメキシコのリカルド・モンタルバン。そして、音楽担当はギリシャ人のこの私だった! 私がビー・ジーズをパラマウントに招き、案内してまわったのはこの折のこと。ユダヤ人地区では、H・P・ラヴクラフト(註・あの作家ではなく、同名のサイケデリック・バンド)がランボーの『酔いどれ船』を歌っていたものだった。心を酔わすこの祝祭の日々のただなかで、私はテレンス・スタンプの美を凌ぐべく、『血と怒りの河』のための音楽を作曲していた」
 それこそ心を酔わすようなこの思い出に、「凌げたのかどうかは知らないが」をはさんで続くのが、前掲の「映画の完成後には……」以降の不吉なくだり、そして「私は、最後の好機を去るにまかせた」という結尾。これはもう、興行的な大失敗か、批評がよくなかったか、その両方かとしか考えられないではないか。
 では一体なにが、とまずは安易にあちらのウィキペディアをのぞいてみると、

「昨夜、クリテリオン・シアターとタワー・イースト・シアターで封切られた映画、『血と怒りの河』は、憶病者のウェスタンだ。陳腐な表現には、勇気、信念のいずれも見出すことができない」──ヴィンセント・キャンビー、1968.5.11.「ニューヨーク・タイムズ」
「『ブルー』は、単に出来が悪いというだけではなく、見るのに苦痛を覚えるほど不出来な代物だ」──ロジャー・エバート、1968.6.18.「シカゴ・サンタイムズ」

 えげつないこの酷評は、今も権威と目されている映画批評家二人によるもので、主演男優の演技についても、ご両人は、

「(ナリッツァーノの演出は)ことにスタンプ氏に関しては甘かったようだ。重たげな瞼をした、このハンサムなイギリス人俳優は、まるでジェイムズ・ディーンの亡霊のように歩き回る」──ヴィンセント・キャンビー、前掲紙
「ハリウッド行きを宝籤で引き当てでもしたかと思わせるほど、生硬でもったいぶっている。隠そうと骨折っても発音は見事にイギリス式だ。南部訛りに響くことを狙い、カウボーイの決まり文句をためらいがちに言うのだが、一層イギリス風に響くだけの無駄な試みだ。彼の演技スタイルは、マーロン・ブランドのひどく下手な物真似を連想させる」──ロジャー・イーバート、前掲紙

 と打ち揃ってえげつなく、かつ意地が悪い。ことにロジャー・イーバートの宝籤で云々は、わずか六日前の彼自身のインタビューの中で、エピグラフに掲げた言葉を引き出しているだけにじつに底意地が悪く、
(悪かったったんだろうなあ、心証)
 と勘ぐりたくなるのだが、実際、
「テレンス・スタンプは、イギリスの映画スターのユニフォーム──長髪にモッズ・スタイルのスーツを着込み、薄い口髭をたくわえて、用心深げな横目使いをしながら」
 レストランに現れた、と書き出されるそのインタビュー記事から好意は感じとれない。このイギリスのスターは、彼にとってはおもしろくは思われないジョーク──「どこかのグループ? って聞く人にずっと呼び止められっ放しなんだ。そうだと答えているよ。マーサとバンデラス(註:モータウンの女性のみのコーラス・グループ)さ、ってね」──ばかりを言い、「バラの花びらを浮かべたフィンガー・ボウルを「こういうのを退廃というんじゃない? ほんとうの」とも、かつて彼を『コレクター』で演出したアメリカの巨匠、ウィリアム・ワイラーを「あまり好きじゃない。時代遅れだよ」とも、すでにニューヨークで酷評後の主演作について、(果敢にも)商業的大成功云々とも語り──と、要するに、読者に、
(ラリっていたのでは?)
 と疑わせるように書かれている(ような気がする。事実、そうだったのかもしれないけれど)。
 えげつないのはこの二人の評ばかりではない。日付からすると、試写のあとにでも書かれたらしい『ヴァラエティ』誌(の「スタッフ」による)評は、大体まあこんなもの。

「不出来なシナリオ、単調な演技、もったいぶった演出によって、ロケ地の荒々しい自然美が浪費されている。五百万ドル以上も費やしたこの映画は、めざしたと思われる知的な作品、満足のいくプログラム・ピクチュアのいずれにもなっていない。……『血と怒りの河』の根本的な問題は、名作、傑作を撮ろうと企ていたらしく思われる点にある」──1967.12.31.「ヴァラエティ」

 まさに大災厄だとしかいえない酷評、また酷評で、こう揃っては興行的失敗も必至だろうというところなのだが、酷評はべつに公開当時のものだけでもアメリカ国内だけでのことなのでもない。

「平凡で、出来の悪い西部劇」──レオナード・マルティン、2003「ムービー・アンド・テレビガイド」
「グロテスクで、やたらに仰々しく気取った西部劇」──トム・ミルン(イギリス)、時期不詳、「タイムアウト・フィルムガイド」
「スタンプ、モンタルバン、安っぽいウエスタン。それ以上、何を言う必要がある?」──マット・ピーターソン、2005「DVDレビュー」
「六十年代の西部劇を全部見たわけではないが、これが最低のものの一つであるのは間違いがない」──キム・モーガン、2005「DVDトークレビュー」
「二番手スターの国際的コレクションで箔をつけた、セルジオ・レオーネのチープな模造品」── ポール・ブレナー、2007「オール・ムービー・ガイド」
「芸術を気取って失敗した西部劇ほど、始末の悪いものはない」──モランディーニ(イタリア)、2008「イル・モランディーニ」

 スタンプの、明らかにイギリス式の英語もまた格好の標的となり、

「彼の演技は単調。五十分のあいだ、うめき声をのぞけば何もしゃべらず、最初の台詞、『おれがやる』からは、お国訛りがばれてしまう」──1967.12.31.「ヴァラエティ」
「スタンプは、そのイギリス訛りをときどきしか隠せていない」──グレン・エリクソン、2005「DVD talk」
「テレンス・スタンプのロンドン訛りは役には合わない上に、時として他の出演者たちとは違う星にでもいるように見える」──クリス・トゥーキー(イギリス)、掲載年不詳「サンデー・テレグラフ」

 その他、似た感想が雨後の筍のごとくに出てきて、
(アメリカの歴史を知らんのか、おまーらは)
 とも、ユル・ブリナーがインディオのパンチョ・ビラを演じても、マーロン・ブランドがメスティーソのサパタを演じても気にしないくせに、いや、それどころか中国人役の、
(ドイツ訛りの英語で話すユダヤ系ドイツ人の女優にはオスカーをやってるくせに……)
 などなどとも思っては(註:'37の『大地』の話)、
「いま怒ってるです。むかむか」
 と、(それとは知らずにわざわざ海外から取り寄せた、例の三倍速VHSを目の前にした)Terry Minaminoさんの真似をして言いたくもなるのだった。
 さ、口直し、口直し……。


「テレンス・スタンプの演じたブルーに私はひとたまりもなく惚れこんでしまったのでありました」──淀川長治、1968「スクリーン」10月号
「マーロン・ブランドなんかとちがったかたちのロウ・キイ・トーンの演技で、異色の魅力を生んでいる。彼に主演させたのが成功の一因である」 ──双葉十三郎、1968「スクリーン」10月号
「終盤は、さながらギリシア悲劇かシェークスピア悲劇でも見ているようであり(やや大げさ)、 テレンス・スタンプとしても最高の演技を見せている」──ダーティ松本、九九年「ダーティマーケット/泣ける映画ベスト・テン」
「テレンス・スタンプasブルーはものごっつい美しかったです」──稲本作蔵、2004「Foolkiller Movie Death Trip」
「'60年代のテレンス・スタンプは、もう芸術だね。一種のカリスマです」──アリソン、2007「allcinema」レビュー
「繊細さと暴力性を合わせ持った複雑なキャラクターをスタンプが見事に演じている」──にゃんにゃん、2009「allcinema」レビュー
「テレンス・スタンプがその魅力を惜しみなく発散する。……彼の表情の変化に連れて物語が動いてゆくような、見事な充実感がある」──タオ、2010「タオのWEB日誌」
「この映画はもう、若き日のスタンプの魅力! の一言に尽きる──毬音、2010「Vivement dimanche!」
「とにかく立ってるだけで『何か背負ってる』という雰囲気。名優とはこういうことなんだな」──シスタールウ、2015「filmark」レビュー
「作品全体を最初から最後まで支配しているのは、クールで哀愁漂う彼の魅力である」──キャルU.K.、2015「アマゾンコム」レビュー

 美しくも物悲しいテーマ曲についてもこんな風に列挙したい。ラストの大俯瞰についてもね、とは思うのですけれど、それはまたべつの機会に。日本の(一部の)映画ファンがこんなにまで愛しているこの映画が海外、ことに、アメリカではなぜああも酷評されたのかの謎についても、検討は次の回にということで、今回はこれにて終了です。


before< >next












inserted by FC2 system