夢で逢いましょう

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Naoko's web site 別館
 ──La Casa Azul(青の館)──

1968年製作の映画、『血と怒りの河』を偏愛する人々のためのサイト。主に、この映画の関係者を襲った(らしい)大災厄とはなにか? の究明を目的とする期間限定のクローズド・サイトです。 なお、管理人の独断により、サイト内に於ける文献引用、画像使用に関しては、著作権等への考慮はとくにしていません。無用のトラブル防止のため、当サイトからの記事の引用、画像の再転用等は、「これを固く禁じます」ということで何卒よろしくご理解のほどを。(管理人より)


〈第4回〉
更新:2016.5.12

「共和国。いい響きの言葉だ。人々は自由に暮らし、語り、行き来し、売り買いし、素面でいることも酔うこともできる。こうした言葉には君も感動するだろう。共和国。胸も詰まるような言葉だ」(ジョン・ウェイン扮するデイヴィー・クロケット、一九六〇年の映画『アラモ』より)

* *

 今回はまず、テレンス・スタンプの一九六八年当時のインタビュー記事を送って下さった、運命の猫さんへの心からの感謝の言葉から。
 かつてあったイギリスのマニアックなファンサイト、terencestamp.comに掲載されていた記事だとのことで、二本とも『血と怒りの河』について大いに語る、といった感じのもの、とても参考になるものでした。早速第一回、第二回のエピグラフをこのインタビューの中のものと差し替え、格好良く決まったではないの? と自画自讃中なのですが、いかがなものでしょうか。
 ええ、そうですね、彼のこの一連の発言、もしアメリカでのものだったのだとすれば、間違いなくバッシングの一因だったろうと私も思います。そして触れた逆鱗は、この発言抜きでも起きたはずのバッシングの源とたぶん同じ場所、当時の彼の国の社会の喉元にあったのだろう、などとも。
 インタビュアー、掲載メディア等は不明だとのお話ですが、映画の公開、及びその直後の酷評の嵐と発言との後先は、さあ、どうだったのでしょうねえ……。

 有名、無名のレビュアーによる酷評、また酷評。前回ご紹介したのは、じつはそのほんの一部だけで、過度に・無意味に攻撃的と思えたレビューは、二、三をのぞいてはほぼ引用していない。匿名性を盾、権威を笠。どっちにしても読んで気持のいいものではないし、どういうか、2ちゃんねるあたりの荒れたスレッド、トゥギャッターでときに目にするネトウヨの発言集とも気配が近い。自分自身に向けられたものではなくても、人の憎悪に無用に長く触れるのは精神衛生上よろしくない。
 映画にたしかに瑕はある、でも、いいところもあるでしょう? それも結構、と思うのに、不出来で不自然、陳腐でもったいぶり過ぎていて、見るのが苦痛なクソだ、などなどと言う。そのわりには具体的な欠点の指摘はあまり多くない。とにかく嫌い。大嫌い。その気持だけはよく伝わってくるのだけれども、なにが嫌いなんだろう? ──つまり、ほんとうは。
 西部劇であるにもかかわらず、主演男優のアクセントが露骨にイギリス風。
 そもそも、西部劇に非・アメリカ人のスターを主演させたの自体が気に入らない。
 シナリオ全体が「無駄に芸術ぶって」いて青臭く、西部劇にはふさわしくない。
 要するに、(アメリカン・スピリットの象徴であるべき)西部劇の冒瀆だといいたいわけなのかしら、と思っていたところ、Y・Nさんから、
「アラモ問題なんかもあるのでは? もしかすると」
 とのご指摘が。そのあたりも念頭に置き、物語、プラス、テキサス独立戦争関連の時系列を確認してみることにした(遅ればせながら、Y・Nさんにも深謝)。
 台詞その他から計算すると、ブルー一家のメキシコ定住は、テキサスへのアメリカ人入植が激増していた1820年代半ば頃。それから五年と経たないうちに、メキシコの新政府はアメリカ人による新規入植を禁止し、さらにいろいろとあって、すでに一大勢力となっていたテキサン(=アメリカ系住民)との摩擦が激化。テキサンのあいだからはメキシコからの分離独立を主張する声が高まり、1835年にはついにテキサス独立戦争が起こってしまう。一家が焼き打ちにあうのはこの頃、または、翌年のどこかの時点。
 翌年3月には、反乱軍の民間兵士約二百名がアラモの砦で全滅、4月には、テキサス暫定政府軍が「リメンバー・アラモ」を合言葉に反撃に転じて、メキシコの大軍を撃破。テキサスは共和国としてメキシコから分離、独立するものの1845年にはアメリカがさっさと併合。テキサスの帰属をめぐって勃発した米墨戦争は、'48年に米国の勝利に終り、以降、リオ・グランデ以北の領土は米国の領有となる──と、超・大雑把にまとめてみると、そういう流れであったのらしい。
 そしてアラモ砦の最後の攻防は、「アメリカ史上の神聖なる一ページ」でもあるのらしい。

 物語の始まりはといえば、テキサスが米領になって二年後の七月のこと。オルテガが彼自身の認識では革命派の指導者(ただし、兄のカルロスに言わせれば今は山賊の首領)だ、というのも右の事情を考えれば理解しやすく、実際、オルテガはただの悪人のようには描かれていない。それだけではない。深手を負って無抵抗のアントニオを取り囲み、その後頭部を撃つ村人のなんの躊躇もない様子も淡々……と描かれていて、村人とオルテガ一味とは単に立場が違う側、という印象を観客には与えていたりする。
 もしかするとこの辺が、というよりも話の構図自体が、たとえば「リメンバー・アラモ」に涙する(あるいは、血湧き肉躍る)タイプの人にとっては極めて不愉快なものだったりするのかも? 
 そういえば、あちらでは大ヒットであったらしいジョン・ウェインの『アラモ』って、一体いつの映画だったっけ、と確認をすれば'60年秋で、大してかけ離れた時期だともいえない。
 そう、そう、ジョン・ウェインが監督した映画といえば、とさらにチェックをしたところ、(さすがに批評の方は賛否両論だったと聞くものの)m興行的にはヒットだった『グリーン・ベレー』の公開は、'68年7月。『血と怒りの河』のわずか二ヶ月後に過ぎない。
 ん? もしかするとと思い始めた矢先に届いたのが前述した二本のインタビュー記事、「テレンス・スタンプ、『血と怒りの河』について語る(1968)」なのだった。そのうち、「現代生活における映画と暴力の関係」と題する方のかなりの部分に、やや怪しい訳をつけてみたものが以下。
「(『血と怒りの河』は)目先の責任についてのいい実例のようなものだね……。出演したかったのは、ブルーが正しいと信じたからじゃない。むしろ、愚かしい人たちにとっての目先の責任とはどういうものなのか、ちょっとはっきりさせたいと思ったんだ。たとえば、だれかがヴェトナム戦争に行くとする。さしあたり、彼が責任を感じる相手といえば、高潔にして被害妄想的な母親、良心的兵役忌避者として息子が刑務所に送られれば恥と感じるだろう父親だ。親の機嫌を損ねたくない、という理由で彼はヴェトナムに行き、睾丸に弾をくらう羽目になる。ぼくは、そんなことをこの映画が言っているとは思わない──なにも、実際、なんにも言っていないよ。でも興味深いと思うね。ブルーが、戦いたいとは望んでいない、この世代のある種の若者を暗示している点は。……村の人たちは彼をあてにして、『私たちを助けてくれなくちゃ』なんて言い、彼は、十人中九人がするような行動をとる。これは予測できる行動、そうふるまうべきだ、と条件付けられている行動なんだ。結局のところ、彼は持っている力を好きなようには使わない。ただ、村人たちを助けるために身を犠牲にするだけさ」
 あっはっは! いいわねえ、スタンプって、顏だけではなくってね?
 いや、ここはパラマウント
宣伝部の身にでもなって、あわわ、というべきか?
 リメンバー・アラモ、リメンバー・パールハーバー、記憶にもまだ新しいリメンバー・9.11。そして'60年代半ば過ぎといえばリメンバー・トンキン湾。あの二つめの魚雷攻撃は米側のヤラセであった、と「ニューヨーク・タイムズ」がすっぱ抜くのは'71年6月の話なのだから、公開は、米国民のたぶん大方が「リメンバー……」だったはずの時期なのではないかしら(それに、こっちがこう思うということは、あっちだってそうとる可能性が高い、ということなのではないかしら)。
 インタビュー自体がいつ行われたもので、英米、どこのメディアに載ったものであったにしても、「大災厄」の主な原因は、
(この界隈のことというので決まりでしょう、もう)
 などと思っているうちに、Y・Nさんからまた情報が入った。マヌエルを演じたギリシャの俳優、スタチス・ヒアレリスについて、
「アメリカのウィキペディアには、こんな一文がありましたので」
 とのお話で、メールにはその「一文」の訳まで添付されていたのだった。Y・Nさんに再びの深謝。そして、許可を得て掲載するその訳は、
「1968年5月10日に公開されたパラマウントの『血と怒りの河』は、何人かの批評家によって反戦思想のアレゴリー、ことに、ヴェトナム戦争に対する批判的なアレゴリーとみなされました。メディアの評も概して否定的なもので、劇場での上映は早々に打ち切られました」
 ふーっ……。

 ヒアレリスとこの映画での彼の役についてのお話をここで少々。
 スタチス・ヒアレリスは、'63年にエリア・カザンの『アメリカ・アメリカ』の主役に抜擢されて好演、一躍スター候補と目されていた当時の若手俳優。ただし、この時点では次の決定打がまだ出ていない、という状況の中にいたはずだ。彼が演じたのはオルテガの(三人全員、腹違いの)息子の一人のマヌエルで、暴行しようとしたジョアンの思わぬ反撃に怒って、銃を突きつけて──というところにたまたま来たブルーに射殺されてしまう。ひどく損な役まわりな上に、終始飛び跳ね、きゃっきゃっ、と興奮し通しという印象で、一言でいえば猿(©ジェシーさん)。彼だけがいつも上半身ほぼ裸だという点、終盤の、山賊の襲撃に備える村人を指揮するブルー、という設定とを考え合わせると、ひょっとすると、『七人の侍』の菊千代を意識したものか? という気がしなくもないのだが、二度、三度と見るとただ騒々しいだけで、この役作りは映画の瑕疵の一つではないか、という気もする。
 瑕疵といえば、イギリスから来た一家だったと示唆する描写、説明がなにもないままにスタンプにイギリス式の英語をしゃべらせた点は、ブルーの発語をめぐる話がかなり重要な点であるだけに、瑕疵といわれても、まあしかたはなかったかもしれない。
 制作サイドもその点には自信がなかったものらしく、スタンプの自伝によれば、
「ロサンゼルスに私は戻り、『血と怒りの河』のための三回目のダビングのやり直しをした。当初は、私にテキサス訛りを提案したロバート・エヴァンズ(訳注 当時のパラマウントの副社長)が、今度は、それでは不自然だったと考えたのだ。ほかの出演者はブロンクスやミドルウェストの、カリフォルニアの──あるいは、尋常なアクセントで台詞を言っていて、私はまるでブライトン・ピア(訳注 イギリスの保養地ブライトンにある、海に向かって長く突き出した桟橋)のように目立ってしまっていた。吹き替え用にと、グレゴリー・ペック風の聞きやすい声の俳優が雇われたが、無論、それは契約上不可能だった」
 とのこと。監督でもプロデューサーでもない人物が口出しをしていいことはたぶんあまりない、と思うのだけれども、似たようなことは多々あったのかもしれず、たとえばブルーの回想中に、
(もともとはあった台詞が、「テキサス訛りで……」との提案と共に消えたのではないか?)
 などとも想像してみるのだが、自伝には、この件についてのこれ以上の記述はおそらくはない。
 個人的には、ブルーのイギリス訛りよりも気になるのが「メキシコの」山賊たちの台詞で、この映画では、山賊同士の会話も含めてすべてが英語、それも、非・ネイティヴっぽい英語に置き換えられている(メキシコで貼られている人相書にまで、Wanted! と刷ってある)。
 単に不自然だというだけでなく、これは、緘黙という設定が観客に伝わりにくい理由の一つにたぶんなっていて、大変惜しい、と思うのだけれども、無論、あの頃のハリウッドの西部劇はスー族でも台詞は英語がお約束。メキシコ人の台詞はちゃんとスペイン語で字幕をつけて──なんていうのはあり得なかったことのはずで、現に、とでもいうように、その欠点を指摘するあちらのレビューはまだ一つも見ていない。

 次回はついに最終回。まずは「リメンバー・ブルー」を合言葉にバッシングに反撃を(やや大げさ)。そして半世紀の歳月を経て、海の向こうでのこの映画への評価はどうなったのか? 等々についてもお届けする予定です。
新たな情報提供と訳のご協力はもちろん、大歓迎。

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〈最終回/大延長版〉
更新:2016.5.20

「"Blue"は、まさにぴったりの題をつけられた映画で、混乱と絶望の灰の中から飛び立つ不死鳥のようだった。……私たちはみな、この映画に大きな期待をかけていた」 (テレンス・スタンプ、1989年の自伝『二本立て』より)

* *

(リメンバー・ブルー作戦の手始めとして……)
 と「インターネット・ムービー・データベース」、略してIMDbのアカウントを作成したのは先週の末。英語の指示に苦労はしながら無事にサインインも済ませ、7.8点ぐらいかしらね、とは思いつつ、その目的上十点を投じてきた。上がれ、上がれ、平均点! ──でもじつは、この映画の得点平均は、私が投票する前からもう6.1点。Terry Minaminoさんを嘆かせた2002年より1.6点も上がっている(そもそも票数自体がほぼ10倍にあたる317人にまで増加している)。
 その内訳はと棒グラフを見てみると、十八以上、三十未満の若い層からの評価が高い。票数こそ21人とさほど多くはないものの、平均7.8点、ことに男性の方は8点と、この層にだけ限っていえば『駅馬車』、『シェーン』を上回るのだ。
 かつての酷評は目にせず、ヴェトナムと重ね合わせて見もしない世代であれば、ということか?
 だとしたら、とあちらのアマゾンものぞいてみると、4.1点とさらに高く、11人中5人が5点満点。私のような不純な票が多少はあるとしても大したもので、好意的、かつ長文のレビューも一つならずある。やはり気に入ると長く、熱く語りたくなる映画であるのかも、
(これなら案外、海外版「いい」レビュー集もありうるのかも?)
 そう考えて再度の検索をすることにした。もうウィキペディアはやめて、キーワードも幾通りにでも変えてみて、批評家以外のレビューにややウェイトをおいてみて──とにかくもっと、徹底的に。すると今度は、前のあれはなんだったのかと思うほど、好意的なレビューもちゃんと出てくるのだった。しかもこちらと同様に、遥かな昔に映画館で見て以来のファンだっている。

「見たのは'60年代なのに、今なお忘れられない」──レリー、2003「eFilmCritic.com」レビュー

 映画館では(たぶん)滅多にかからず、置くビデオ屋も少なく、やっとあっても三倍速のものという時期のレビューもある。

「シナリオも演出もいい。もしまだ見ていないなら借りにいくように。お気に召すこと請け合い」 ──エイジア・イーストラック、2000「アマゾン」レビュー
「ほんとうに型破りで、新鮮で、魅惑的」──ナンシー、2003「eFilmCritic.com」レビュー
「ナリッツァーノは、ユタの素晴らしい景色を強調し、監督としての素晴らしい〈目〉を見せてくれる。……スタント監督はヤキマ・カヌートだが、この強烈なフィナーレは彼の最良の仕事の一つだろう。『血と怒りの河』をみつけることは難しいかもしれないが、借りてくるだけの価値はある。強く推したい」 ──チャールズ・テイタム、2003「IMDb」レビュー

 DVDがついに出ると、

「この映画には美しい哀歌にも似た瞬間、西部劇の本物の詩情がある。それはほとんど──完全に達してはいないが──パラマウント西部劇の最高傑作、『シェーン』の情感に迫るものだ」──ジョナサン・ドイル、2005「Diskland」
「当時としては巨費を投じたこの映画には、傑出した映像、ビスタ・ビジョンで撮影された美しい風景、非常に優れた音楽、伝説のスタントマン、ヤキマ・カヌートによるアクション・シーンがある。加えて、常に見るに値するテレンス・スタンプも」──bill0033、2005「IMDb」レビュー

 そう、大不評であったはずの英国俳優についてだって、

「この映画の中のスタンプの演技はまさに見ものといってよく、なんとしてもDVDで買っておくべき理由、おそらく唯一の理由は彼の演技だ」──ニコラス・シェフォー、2005「Fulvue Drive-in」
「テレンス・スタンプはブルーを適確に演じている」──ペッター・セラーズ、2009「IMDb」レビュー
「若き日のテレンス・スタンプの美しさは心に残って離れない」 ──ナンシー・パットン、2009「Amazon.USA」レビュー

 こんな言葉が出てくるではないか、そこかしこから(まあ、このあたりには、ゾッド将軍で彼がアメリカの映画ファンからもやっと認知され、もっとあとの『イギリスから来た男』では、「ニューユーク・タイムズ」ほかのメディアから映画ともども──今度は──ずいぶん褒められもして、すでに名優としての評価が定まっていることも影響していそうな気はするのだけれど)。

 ほらやっぱりね? 大バッシングの理由はヴェトナム云々、コケたのは、ネガティヴ報道のせい。それでさっさと片づけたい気はするのだが、念のためにと、古い批評の何本かを四苦八苦してまた見直すと、どうもそのことばかりでも、いけすかない「イギリスから来たスター」のせいばかりでもないのでは、というような気もしてき始める。

 たとえば酷評の一方の雄、ヴインセント・キャンビーにとっては、スタンリー・コルテスのカメラ・ワークもいけすかないものだったらしい。
「夜行性の野ネズミのようなカメラ・ワークもまた自意識が過剰だ。どこまでも続くロアー・ホリゾント、そして雲でいっぱいの──もちろん、フィルター越しに撮影された空」
 もう一方の雄、ロジャー・イーバートも似た意見であるようで、
「夜のシーンは明らかに昼撮影されていて、フイルターで空を暗く見せてある。ではあるが、雲は空にふわふわと白く浮かぶまま、草は深い緑の色のまま、そして月が落とす影はただならず濃い」
 などと書く。極め付けと感じたらしいのは、マヌエル射殺後の、ブルーのシルエットが戸口に浮かび上がるシーン。ポスターに使ってほしかった、とこっちは思ったほど美しいショットなのに、
「フイルターは忘れ去られて、空は鮮やかな青、陽光の下の青だ」
 え。いい青じゃない、切なくてシュールで、などと感じるのはたぶん私だけではない。視覚効果についての日本の反応はラストシーンの大俯瞰にほぼ集中しているのだけれど、ほかについても、、

「とても色彩と空間設計に凝る人です。実に美しく広がった青空と白い雲、メキシコ人盗賊たちが好むカラフルな原色の装い、どぎつい血の色など、見事なロングショット、俯瞰ショットなど観ているだけで楽しい絵が続きます」──よふかし、2006「ツタヤ」レビュー
「じんわりと目の裏側に幻のように染み付いてしまうような、後から印象が強まってくる不思議な映像」──タオ、2010「タオのWEB日誌」
「絵のように美しい映像がある映画」 ──Bronx、2012「ツタヤ」レビュー

 まあ、そんなところで、違和感をとくに表明するようなレビューは(まだなのかもしれないが)、日本のサイトでは私は目にしていない。所詮馴染みはない異国の景色だからか、風景と人の心象を重ね合わせるのが古来、伝統だったりするからなのか?
 その理由は知らないが、スタンプの自伝の以下の記述の、ことに後半から判断すれば、監督自身には、視覚的効果と心象とを重ね合わせて表現する意図は明白にあったと見てよさそうだ。
「ナリッツァーノは、ブルーの髪は金色、髭は黒にしようと言った。これには二つの意図があった──第一に、ブルーは一言も話さず、髪を包み隠しているため、その明るい目の色にもかかわらず、メキシコ人らしくは見える。このことは、ジョアンとドクが彼の服を脱がせ、彼が白人だったと知るシーンの効果を高めることになる。シルヴィオはまた、ブルーのその外見が彼の心の分裂を暗示することを期待していた」
 公開当時にはそれは受けない試みだったらしい。
 2008年に、カナダのブロガー、グレッグ・ウッズは、自身のブログ"Dispatches from the ecletic screening room(映写室速報)"の中で、
「型破りのこの映画は、一九六八年には批評家たちの物笑いの種だった」
 と書いている。その当時の大方の人の当惑を、「無理からぬこと」と認めもしているのだが、
「40年の歳月は、この風変わりな作品に対してむしろやさしく働いた」
 と言う彼自身の見解は、当時の批評と同じではない。
「スタンリー・コルテスの撮影手法は素晴らしく、しばしば、登場人物たちの目を通して見た風景を映し出している。その溢れるような色彩、ヴィスタ・ヴィジョンの広い画面は、シナリオの、どこか、この世のものならぬ側面をさらに目立たせる」
 そうそう、そうなのよ! といいたくなる評ではないか、これは。
 ウッズによれば、西部劇の主役にイギリス人の俳優を、という「風変わりな」選択も、
「テーマにはじつはよく合っているのだ。故意にかどうか、スタンプはイギリス風のアクセントを完全には消していないが、白い肌、漂白された金髪とあいまって、この役の、どこか別の場所から来てしまったもののような感じを強める」
 そう、そう……。
 面白いことに、「悪い」レビューでもほぼ似た言葉で指摘されていた同じ事実が、ここでは違う解釈で捉え直され、受け入れられている。ただしブルーの前半での沈黙には、彼は、
「象徴的というよりはわざとらしいギミックになっている」
 という意見。前述の通り、そのあたりについては脚本、演出上に不備がないとは思っていないから、わざわざ反論する気はないが、私自身の印象にはIMDb中の以下のレビューの方が近い。

「ブルーを演じるスタンプは、好演。映画の前半では一言も発しないため、彼がようやく自分について語り出したときには、観客は、その一言一句を傾聴することになる」──チャールズ・テイタム、2002「IMDb」レビュー

 ウッズは、マノス・ハジダキスの音楽に関してもまた、「別世界からきた男を思わせるもの」と記していて、それはそれで面白くはあるのだけれど、音楽自体についてというのだったら、やはりIMDbにあったこっちのレビューの方だろう。

「個人的な意見では、かつて映画産業のために書かれた音楽としては最良のものだと思うし、サウンドトラック盤は、私のこの見解を今もなお証明してくれている。『ノクターン』『ブルーの孤独』といったナンバーは暖かく優しく、ラスト・ナンバーは、その後幾年にもわたって脳裏を去らず、懐旧の思いで心を満たすことだろう」 ──ペッター・セラーズ、2005「IMDb」レビュー

 '67年暮れに、故国の友人に宛てて、
「ここで上げる成果がぼくの近い前途を示すことになるだろう」
 そう書いていたハジダキスにも、酷評にも関わらず、のちのちまでこの映画がお気に入りであった、というナリッツァーノにもこういうのを見てほしい。早過ぎたのだ、あなたたちはと伝えたいと思うけれども、ハジダキスは'94年、後半生を長い鬱病との苦闘に費やしたシルヴィオ・ナリッツァーノは、2011年にすでに世を去って、その耳にはもう届けられない。
 テレンス・スタンプの失われた'70年代にしたって、戻って来はしない。
 なにかがなんだか切なくて、なにかがなんだかすごく、いやだなあ──という重たい思いを吹き飛ばすべく、最終回掉尾を飾る・怒濤の・ほめそやしレビュー集、参ります。
 では、音楽篇から……。

「このサウンドトラックは、近年に到るまであまりに知られることのなかった、マノス・ハジダキスのもっとも重要な作品の一つだ」──2011「シリウス・レコード公式サイト」より
「哀調をおびたギターが印象的」 ──サリエリ、2001「シュッツの癒し音楽館/映画音楽」
「『アランフェス協奏曲』のアダージョを思わせる音楽も美しく、胸を打つ」 ──Terry Minamino、2002「パソコンお笑い日誌」
「深く心に染み入る名曲 」──ワイアットアープ、2005「西部劇作品別ブログ」
「ローリンド・アルメイダのギターは最高でした」──marineflat 、2009「西部劇作品別ブログ」
「マノス・ハジダキスのギリシャ人らしい音楽も大変良く、あるのであれば、サントラが欲しいくらい」 ──オカピー、2010「プロフェッサー・オカピーの部屋」
「アメリカ西部劇ではちょっと聞いたことのない透明感のある曲」 ──Bronx、2012「allcinema」カスタマーレビュー
「哀愁漂うテーマ曲も最高。心の中にいつまでも響き続け──ジェシー、2015「回憶的電影」

 続きましてはラストシーン。

「ラストの大俯瞰は圧巻」──双葉十三郎、1968「スクリーン」10月号
「ラストの素晴らしさにボーゼン」 ──ウェイン命、2006「VIVA!西部劇」
「ラストシーンは絶品!」──mr.darcy、2002「2ちゃんねる/幻の名作」
「リオ・グランデ河でのラストシーンは筆舌に尽くしがたい素晴らしさ」──名無シネマ、2002「2ちゃんねる/あまり知られていない良作」
「すべてが終わった後のラストシーンは、映画史上もっとも悲痛な空撮として記憶されるべきだろう」 ──Terry Minamino、2002「パソコンお笑い日誌」
「見事なフィナーレ」 ──晴耕雨読、〇五年「MovieWalker」レビュー
山崎「俯瞰のカメラを思いっきり引いて。河の中をみんなザブザブとかけよっていくんだな、ラストシーンは」
斉藤「あれはもう、素晴しいの一語だな」──斉藤裕、山崎優介、 2006「肴は映画/今日も映画を語る夜が来る」
「ラストシーンは泣けます」 ──Hell Cat's、2007「WildWestな銃たち」
「ラストシーンは哀愁感あふれ、不覚にも涙しましたよ」──ノスタル爺、2009年「西部劇私的博物館」
「人ならぬものが見下ろすような、ラストシーンの俯瞰は圧巻」── ドク、2012年「北の映画日誌」
「劇的なラストシーンが心に染みる一作」 ──インディ、2015「インディの鞭」
「ラストシーンは感涙必至です」 ──ジジにゃん、2016「Twitter」

 そして最後にもう一度、

「ラストシーン、バックに流れるギターの音色が実に悲しい……」──ダーティ松本、1999「ダーティマーケット/泣ける映画ベスト・テン」


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