Naoko's web site 別館
──La Casa Azul(青の館)──
1968年製作の映画、『血と怒りの河』を偏愛する人々のためのサイト。主に、この映画の関係者を襲った(らしい)大災厄とはなにか? の究明を目的とする期間限定のクローズド・サイトです。 なお、管理人の独断により、サイト内に於ける文献引用、画像使用に関しては、著作権等への考慮はとくにしていません。無用のトラブル防止のため、当サイトからの記事の引用、画像の再転用等は、「これを固く禁じます」ということで何卒よろしくご理解のほどを。(管理人より) |
「共和国。いい響きの言葉だ。人々は自由に暮らし、語り、行き来し、売り買いし、素面でいることも酔うこともできる。こうした言葉には君も感動するだろう。共和国。胸も詰まるような言葉だ」(ジョン・ウェイン扮するデイヴィー・クロケット、一九六〇年の映画『アラモ』より) * * 今回はまず、テレンス・スタンプの1968年当時のインタビュー記事を送って下さった、運命の猫さんへの心からの感謝の言葉から。 ──────────────────── 「"Blue"は、まさにぴったりの題をつけられた映画で、混乱と絶望の灰の中から飛び立つ不死鳥のようだった。……私たちはみな、この映画に大きな期待をかけていた」 (テレンス・スタンプ、1989年の自伝『二本立て』より) * *
(リメンバー・ブルー作戦の手始めとして……)
と「インターネット・ムービー・データベース」、略してIMDbのアカウントを作成したのは先週の末。英語の指示に苦労はしながら無事にサインインも済ませ、7.8点ぐらいかしらね、とは思いつつ、その目的上十点を投じてきた。上がれ、上がれ、平均点! でもじつは、この映画の得点平均は、私が投票する前からもう6.1点。Terry Minaminoさんを嘆かせた2002年より、1.6点も上がっている(そもそも票数自体がほぼ十倍にあたる三一七人にまで増加している)。その内訳はと棒グラフを見てみると、十八以上、三十未満の若い層からの評価がずいぶん高い。票数こそ二一人とさほど多くはないものの、平均7.8点、ことに男性の方は八点と、この層にだけ限っていえば『駅馬車』、『シェーン』さえ上回るのだ。 かつての酷評は目にせず、ヴェトナムと重ね合わせて見もしない世代であれば、ということか? だとしたら、と彼の国のアマゾンものぞいてみると、4.1点とさらに高く、十一人中五人が5点満点。私のような不純な票が多少はあるとしても大したもので、好意的、かつ長文のレビューも一つならずある。やはり気に入ると長く、熱く語りたくなる映画であるのかも、 (これなら案外、海外版「いい」レビュー集もありうるのかも?) そう考えて再度検索をすることにした。もうウィキペディアはやめて、キーワードも幾通りにでも変えてみて、批評家以外のレビューにややウェイトをおいてみて──とにかく、もっと、徹底的に。すると今度は、前のあれはなんだったのかと思うほど、好意的なレビューもちゃんと出てくるのだった。しかもこちらと同様に、遥かな昔に映画館で見て以来のファンだっている。 「見たのは'60年代なのに、今なお忘れられない」──レスリー、2003「eFilmCritic.com」レビュー 映画館では(たぶん)滅多にかからず、置くビデオ屋も少なく、やっとあっても三倍速のものという時期のレビューもある。 「シナリオも演出もいい。もしまだ見ていないなら借りにいくように。お気に召すこと請け合い」 ──エイジア・イーストラック、2000「アマゾン」レビュー 「ほんとうに型破りで、新鮮で、魅惑的」──ナンシー、2003「eFilmCritic.com」レビュー 「ナリッツァーノは、ユタの素晴らしい景色を強調し、監督としての素晴らしい〈目〉を見せてくれる。……スタント監督はヤキマ・カヌートだが、この強烈なフィナーレは彼の最良の仕事の一つだろう。『血と怒りの河』をみつけることは難しいかもしれないが、借りてくるだけの価値はある。強く推したい」 ──チャールズ・テイタム、2002「IMDb」レビュー DVDがついに出ると、 「この映画には美しい哀歌にも似た瞬間、西部劇の本物の詩情がある。それはほとんど──完全に達してはいないが──パラマウント西部劇の最高傑作、『シェーン』の情感に迫るものだ」──ジョナサン・ドイル、2005「Diskland」 「当時としては巨費を投じたこの映画には、傑出した映像、ビスタ・ビジョンで撮影された美しい風景、非常に優れた音楽、伝説のスタントマン、ヤキマ・カヌートによるアクション・シーンがある。加えて、常に見るに値するテレンス・スタンプも」──bill0033、2005「IMDb」レビュー そう、大不評であったはずの英国俳優についてだって、 「この映画の中のスタンプの演技はまさに見ものといってよく、なんとしてもDVDで買っておくべき理由、おそらく唯一の理由は彼の演技だ」──ニコラス・シェフォー、2005「Fulvue Drive-in」 「テレンス・スタンプはブルーを適確に演じている」──ペッター・セラーズ、2009「IMDb」レビュー 「若き日のテレンス・スタンプの美しさは心に残って離れない」 ──ナンシー・パットン、2009「Amazon.USA」レビュー こんな言葉が出てくるではないか、そこかしこから(まあ、このあたりには、ゾッド将軍で彼がアメリカの映画ファンからもやっと認知され、もっとあとの『イギリスから来た男』では、「ニューユーク・タイムズ」ほかのメディアから映画ともども──今度は──ずいぶん褒められもして、名優としての評価がもう定まっていることも影響していそうな気はするが)。 ほら、やっぱりね? 大バッシングの理由はヴェトナム云々、コケたのは、ネガティヴ報道のせい。それでさっさと片づけたい気はするのだが、念のためにと、古い批評の何本かを四苦八苦してまた見直すと、どうもそのことばかりでも、いけすかない「イギリスから来たスター」のせいばかりでもないのでは、というような気もしてき始める。 たとえば酷評の一方の雄、ヴインセント・キャンビーにとっては、スタンリー・コルテスのカメラ・ワークもいけすかないものだったらしい。 「夜行性の野ネズミのようなカメラ・ワークもまた自意識が過剰だ。どこまでも続くロアー・ホリゾント、そして雲でいっぱいの──もちろん、フィルター越しに撮影された空」 もう一方の雄、ロジャー・イーバートも似た意見であるようで、 「夜のシーンは明らかに昼撮影されていて、フイルターで空を暗く見せてある。ではあるが、雲は空にふわふわと白く浮かぶまま、草は深い緑の色のまま、そして月が落とす影はただならず濃い」 などと書く。極め付けと感じたらしいのは、マヌエル射殺後の、ブルーのシルエットが戸口に浮かび上がるシーン。ポスターに使ってほしかった、とこっちは思ったほど美しいショットなのに、 「フイルターは忘れ去られて、空は鮮やかな青、陽光の下の青だ」 え。いい青じゃない、切なくてシュールで、などと感じるのはたぶん私だけではない。視覚効果についての日本の反応はラストシーンの大俯瞰にほぼ集中しているのだけれど、ほかについても、、 「とても色彩と空間設計に凝る人です。実に美しく広がった青空と白い雲、メキシコ人盗賊たちが好むカラフルな原色の装い、どぎつい血の色など、見事なロングショット、俯瞰ショットなど観ているだけで楽しい絵が続きます」──よふかし、2006「ツタヤ」レビュー 「じんわりと目の裏側に幻のように染み付いてしまうような、後から印象が強まってくる不思議な映像」──タオ、2010「タオのWEB日誌」 「絵のように美しい映像がある映画」 ──Bronx、2012「ツタヤ」レビュー まあ、そんなところで、まだだかどうか、日本のサイトではとくに違和感を表明しているレビューは私は目にしていない。所詮馴染みはない異国の景色だからか、風景に人の心象を重ね合わせるのが古来、この国の伝統だったりするからか? そっちの理由はさて措くとして、例の自伝中の以下の記述(の、ことに後半)からすれば、人の心象と視覚的効果を重ねて表現しよう、という意図がナリッツァーノにあったことはたしかなようだ。 「ナリッツァーノは、ブルーの髪は金色、髭は黒にしようと言った。これには二つの意図があった──第一に、ブルーは一言も話さず、髪を包み隠しているため、その明るい目の色にもかかわらず、メキシコ人らしくは見える。このことは、ジョアンとドクが彼の服を脱がせ、彼が白人だったと知るシーンの効果を高めることになる。シルヴィオはまた、ブルーのその外見が彼の心の分裂を暗示することを期待していた」 それは、公開時にはまるで受けない試みだったもののようで、カナダのブロガー、グレッグ・ウッズの"The Electric Screening Room"(映写室速報)の'08年のエントリーには、 「型破りのこの映画は、1968年には批評家たちの物笑いの種だった」 とある。ウッズは当時の嘲笑、および当惑を「無理からぬこと」と認めはしているものの、 「四十年の歳月は、この風変わりな作品に対してむしろやさしく働いた」 とも書く彼自身の見解は、キャンビー、イーバートのそれとはずいぶん異なっている。 「スタンリー・コルテスの撮影手法は素晴らしく、しばしば、登場人物たちの目を通して見た風景を映し出している。その溢れるような色彩、ヴィスタ・ヴィジョンの広い画面は、シナリオの、どこか、この世のものならぬ側面をさらに目立たせる」 そうそう、そうなのよ! といいたくなる評ではないか、これは。 ウッズによれば、西部劇の主役にイギリス人の俳優を、という「風変わりな」選択も、 「テーマにはじつはよく合っているのだ。故意にかどうか、スタンプはイギリス風のアクセントを完全には消していないが、白い肌、漂白された金髪とあいまって、この役の、どこか別の場所から来てしまったもののような感じを強める」 そう、そう……。 面白いことに、「悪い」レビューでもほぼ似た言葉で指摘されていた同じ事実が、ここでは違う解釈で捉え直され、受け入れられている。ただしブルーの前半での沈黙には、彼は、 「象徴的というよりはわざとらしいギミックになっている」 という意見。前述の通り、そのあたりについては脚本、演出上に不備がないとは思っていないから、わざわざ反論する気はないが、私自身の印象にはIMDb中の以下のレビューの方が近い。 「ブルーを演じるスタンプは、好演。映画の前半では一言も発しないため、彼がようやく自分について語り出したときには、観客は、その一言一句を傾聴することになる」──チャールズ・テイタム、2002「IMDb」レビュー ウッズは、マノス・ハジダキスの音楽に関してもまた、「別世界からきた男を思わせるもの」と記していて、それはそれで面白くはあるのだけれど、音楽自体についてというのだったら、やはりIMDbにあったこっちのレビューの方だろう。 「個人的な意見では、かつて映画産業のために書かれた音楽としては最良のものだと思うし、サウンドトラック盤は、私のこの見解を今もなお証明してくれている。『ノクターン』『ブルーの孤独』といったナンバーは暖かく優しく、ラスト・ナンバーは、その後幾年にもわたって脳裏を去らず、懐旧の思いで心を満たすことだろう」 ──ペッター・セラーズ、2005「IMDb」レビュー '67年暮れに、故国の友人に宛てて、 「ここで上げる成果がぼくの近い前途を示すことになるだろう」 そう書いていたハジダキスにも、酷評にも関わらず、のちのちまでこの映画がお気に入りであった、というナリッツァーノにもこういうのを見てほしい。早過ぎたのだ、あなたたちはと伝えたいと思うけれども、ハジダキスは'94年、後半生を長い鬱病との苦闘に費やしたシルヴィオ・ナリッツァーノは、2011年にすでに世を去って、その耳にはもう届けられない。 テレンス・スタンプの失われた'70年代にしたって、もう戻って来はしない。 なにかがなんだか切なくて、なにかがなんだかすごく、いやだなあ──という重たい思いを吹き飛ばすべく、最終回掉尾を飾る・怒濤の・ほめそやしレビュー集、参ります。 では、音楽篇から……。 「このサウンドトラックは、近年に到るまであまりに知られることのなかった、マノス・ハジダキスのもっとも重要な作品の一つだ」──2011「シリウス・レコード公式サイト」より 「哀調をおびたギターが印象的」 ──サリエリ、2001「シュッツの癒し音楽館/映画音楽」 「『アランフェス協奏曲』のアダージョを思わせる音楽も美しく、胸を打つ」 ──Terry Minamino、2002「パソコンお笑い日誌」 「深く心に染み入る名曲 」──ワイアットアープ、2005「西部劇作品別ブログ」 「ローリンド・アルメイダのギターは最高でした」──marineflat 、2009「西部劇作品別ブログ」 「マノス・ハジダキスのギリシャ人らしい音楽も大変良く、あるのであれば、サントラが欲しいくらい」 ──オカピー、2010「プロフェッサー・オカピーの部屋」 「アメリカ西部劇ではちょっと聞いたことのない透明感のある曲」 ──Bronx、2012「allcinema」カスタマーレビュー 「哀愁漂うテーマ曲も最高。心の中にいつまでも響き続ける」──ジェシー、2015「回憶的電影」 続きましてはラストシーン。 「ラストの大俯瞰は圧巻」──双葉十三郎、1968「スクリーン」10月号 「ラストの素晴らしさにボーゼン」 ──ウェイン命、2006「VIVA!西部劇」 「ラストシーンは絶品!」──mr.darcy、2002「2ちゃんねる/幻の名作」 「リオ・グランデ河でのラストシーンは筆舌に尽くしがたい素晴らしさ」──名無シネマ、2002「2ちゃんねる/あまり知られていない良作」 「すべてが終わった後のラストシーンは、映画史上もっとも悲痛な空撮として記憶されるべきだろう」 ──Terry Minamino、2002「パソコンお笑い日誌」 「見事なフィナーレ」 ──晴耕雨読、2005「MovieWalker」レビュー 山崎「俯瞰のカメラを思いっきり引いて。河の中をみんなザブザブとかけよっていくんだな、ラストシーンは」 斉藤「あれはもう、素晴しいの一語だな」──斉藤裕、山崎優介、 2006「肴は映画/今日も映画を語る夜が来る」 「ラストシーンは泣けます」 ──Hell Cat's、2007「WildWestな銃たち」 「ラストシーンは哀愁感あふれ、不覚にも涙しましたよ」──ノスタル爺、2009「西部劇私的博物館」 「人ならぬものが見下ろすような、ラストシーンの俯瞰は圧巻」── ドク、2012「北の映画日誌」 「劇的なラストシーンが心に染みる一作」 ──インディ、2015「インディの鞭」 「ラストシーンは感涙必至です」 ──ジジにゃん、2016「Twitter」 そして最後にもう一度、 「ラストシーン、バックに流れるギターの音色が実に悲しい……」──ダーティ松本、1999「ダーティマーケット/泣ける映画ベスト・テン」 |