夢で逢いましょう

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 押入の戸を引き開ける。
 赤と青の幾何学模様のラグが、テーブルクロスが、それから部屋の隅に置かれたピアノが目に入る。
 ではなくて、たぶんほんとうはまずピアノが目に入る。月明かりに照らされて鈍く光っているピアノ、磨き込まれた、机によく似た形のピアノ(スクエア・ピアノというのよ、これは。木は桜の木。ねえ、木目がとても綺麗でしょう?)。
 そう、同じようなピアノが同じような部屋の中の同じような位置にちょうどあった。朝、寝室から下りてくるとあなたはまず蓋の上に指をそっと滑らせて、感触を確かめた。一日の初めの儀式のように。しないでおくと、よくないことがなにか起きるのだと信じてでもいるように。
 滑らかなその手触りが、蓋の上の手書きの金の文字があなたは好きだった。文字は夜にはランプに照らされてさらに美しく光った。聴きながら、ときどきは歌いながら頭を振って、もっと光ったり、逆に、光らなくなったりするのを見るのもまたあなたは好きだった。
 それが燃えるところはあなたは見なかった。
 焼け残った鋳物の枠と、片側だけが弾けた弦の束は見た。トウモロコシの畑の上を吹き過ぎる風の音もたぶん聞いた(後ずさりをしたときに踏みつけたガラスの音も一度だけ聞いた)。
 ハゲタカに食い尽くされた山羊、千ものガラガラ蛇の尾の音、とあなたは思った。
 おかしなことに、あの夜に目の中、耳の中にありありと蘇ったのは、見なかったもの、聞かなかったものの記憶だった。月明かりの中で、めくれ上がる板の隙間から吹き出す火をあなたは見、落ちたガラスの欠片が一瞬、二つの鍵盤を叩くのも聞いた。
 千ものガラガラ蛇の舌だと、ドとファだとあなたは思った。『さかえの主イエスの』の最初に少し長く鳴るドとファ、おしまいの、アーメンの前にはもっと長く鳴るドとファ(ああ、耳がいいのねえ、あなたは。いつか、弾きかたも教えてあげなくてはね? そう、お父様がいいって言ったらね)。


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