♪春日八郎アーカイヴ♪

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初めて見る桜の木のように
2017.4.7記

〈別れの波止場〉が『あん時ゃどしゃ降り』──かつてはあった、今はないものについての歌に始まるのと同様、 〈東京波止場〉もまたそんな歌、『下町 坂町 泣ける町』('61)から始めてみています。
 これはじつは、当初は、「どうしたどうしたどこ行った」と呼びかけられる「石蹴りした娘」「酒屋の娘」の娘(こ)を子供の子とだけ思って聴いて、たまたま例に挙げた幼なじみたちなのだとも、
「景色さえ変わった故郷の町で、今は散り散りになった幼なじみの仲間たち、仲間たちと共にいた、遠く過ぎた月日を偲ぶ」
 歌であるとも勘違い。少しずれた「じーん……」をしてここに据えたものでした。続く歌詞を聴けば、ではないことはすぐにわかりそうなものなんですが、思い込みというものはなかなか手ごわい。CDの作成後に歌詞をようやく見て呆れ、そのつもりで聴き直してみれば、これは幼なじみの酒屋の娘(当然、一人だけ)と恋仲になり、「死ぬまで待つ」との言葉を信じておそらく東京に出て、夢破れて戻ってきた若者の歌。酒屋は代替わりをして娘もいない。今は持ち主の変わった酒屋で、
(町並みは、ああ、あの頃のままなのに)
 と一人、嘆きつつ飲む未練な男の歌でした。
「春日八郎は、本とか新聞読むBGMにはならないね。たぶん、酒飲むとき以外だめ」
「そう。すごく、クリアな日本語でしょう。言葉の意味とかがもう、気持込みでどっと入ってきて」
 なんだったんだ? 例の、(十ばかりは年長の)知人と電話で話したりしていたあれは、とは思いましたけれど、作り直すほどのことでもない。
(失われた大切なものへの哀惜、という意味では同じなんだし……)
 と思うことにして、これはもう、そのまま放置。
 集中、最も早期の歌ながら、彼はすでに三十七。そこまで待つ幼なじみもまあいないだろう、という年です。それでいて声と詞に違和感はない。次の『北国の駅』('65)では四十一歳。前の歌以上に、もう、「初めての恋」をひきずる年齢ではないでしょうと言いたいものの、やはり、詞と声には違和感はとくにありません。
 邦楽の方のサイトで、甲(かん)の声、高い声は少年の声とあるのを読んだことがいつかある。まあそういった話でもあるのでしょうが、それだけではたぶんない。春日八郎の高音部って、ことに、'60年代いっぱいぐらいまでだと、張りつめた、みたいな感じがなんだかあるのですよね。よくいう張りとかだけではなくて。その張りつめ具合が、普通なら疾うに磨り減っているはずのナニカの気配、もっと年若い人の気配のようだから、なのではないか。
 この上なく安定したとも聞こえる歌の、ここぞ、という箇所で顔を覗かせる危ういテンション。彼のこの時期の声が最も好きな理由の一つはじつはこれなんです。
 レコード歌手としてデビューする以前、彼は戦前、戦後の二度にわたって(自伝によれば、「ワンサ・ボーイとして」)新宿ムーラン・ルージュに所属している。その時代の彼を直接知る人の証言・その一は、戦後のごく短期間だけムーラン・ルージュに所属していたという作家、柴田悦男によるもので、


「後の大歌手春日八郎さんとも舞台を共にしたことがありますしね。好人物でした」──柴田悦男「海城中学高等学校 古典芸能部 公式ブログ」

 次はたぶん観客として見ている人の証言で

「昭和二二、二三年頃、ムーランに出て歌ってたけど、ムーランというのは狭い小屋だから、すぐ聞こえるんだね。(中略)ところが春日は、というと、あそこのドン張(原文ママ)前で歌ってて、『声が小さい、聞こえてないぞ!』なんてどなられてるんだ」──平井賢『明治 大正 昭和はやり歌』付属冊子

 もう一つも同じ件に関してで、戦後の一時期、「小議会」の名のもとに活動していたムーラン・ルージュに参加、舞台美術を担当した人によるもの。

「歌手の春日八郎が渡部実という名前で小議会に出ていた。これは後から中江良夫(1)さんに教えられたんだけど、声が小さくて舞台の後ろまで届かない。今村源兵2)さんが夜中の誰もいない舞台で春日八郎が一人で歌の練習しているのを見て、鬼気迫るものがあった、と中江さんに話したらしい」──中村公彦、中野正昭著『ムーラン・ルージュ新宿座─軽演劇の昭和小史─』所収のインタビュー

 鬼気迫るもののある好人物? いいわねえと私は思い、歌に自伝的〝事実〟の反映を読もうとするのは云々、というかねての主張を曲げて、その感じは歌にもともつい考えたりしてしまうのです。

 三、四曲目はかつてのヒットの再録音で、『街の燈台』が'69年、『居酒屋』が'70年の録音。このあたりにはいかにもヒット曲らしいパッとした感じがほしい、と考えての選曲なのですけれど、共に〝安定の名人芸〟風なのでもあって、どきっ、とは一々しない。その分、繰り返して聴いても飽きにくく、疲れもしないであろうという算段です。
 直後にくる最初の山は、『東京ながし』('64)から『利根の恋唄』('65)を経由して『別れの一本杉』('69)へ、と続く部分。前の二曲はいかにもこの時期のらしい高音部が切なくて大変に好きなんですが、youtubeにも、楽譜のダウンロード・サイトにもカラオケにも見当たらない。どっちもどうも、そう人気のない歌なのらしい。『東京ながし』に到っては、大全集付属の歌詞集にも間違った題で載っているという始末(もっとも、この歌詞集には誤植が異常に多く、『毎度おなじみ流し唄』の詞では、「胸が」が「うめが」、「こっそり」が「とったり」にと相当にシュールな誤植も散見します)。
 
──イントロが今一キャッチーじゃない? 詞? それともタイトルが弱い?
 あれこれと思いつつ次に移ると、イントロのギターから、ハバネラのリズムからなにからがさすがに大変に印象的。シチュエーションもすっとのみ込めて、とくになにも考えようとはしなくても、登場人物たちと、その関係がちゃんと見えてくる。それでいて具体性はあり過ぎず、身にひきつけてもし聴きたければそう聴ける隙間もある。いい歌です。桜の木が〝やっぱりいい木〟であるように。
 ただちょっと、いかに名歌か、なんていう話を少し聞き過ぎ、歌自体もいくらか聞き過ぎている。桜の花にまつわるさまざまのクリシェを聞かず、木を知りもせず、初めて目にするものとしてあの満開の花を見られたら
──というのに近い思いが私にはあります。それに、桃や辛夷や木瓜だってそれぞれにいい花でしょう? みたいなことも言いたくはなるのですよね。
 歌自体は再録音ヴァージョンが、アレンジは船村自身の手になるオリジナルの方がいい。ことに再録音版のラストの、オーケストラのジャ、ジャ、ジャーンは派手過ぎかと思うので、どけて、オリジナルのギターだけのラストと切り貼りをしてみました。無茶かしら、と思ったらじつに自然につながった上、チャンチャチャンチャと威勢のいい三味に始まる、次の『三味線海峡』('62)にもよりスムーズにつながっていく、というような気がします。また、手前味噌ですけど。

1 劇作家。'40年からムーランルージュ新宿座文芸部に参加。
2 俳優。小議会時代に演芸部員として参加。

なァ姐さん、姐ちゃんよ
2017.4.9記

 一番に不意に出てくる「デッキ」でええっ、と思うほど、「粋な音締がエー」という歌詞も曲調も時代物風の『三味線海峡』('62)。イントロの三味の勢いで最後まで走っていく乗りのいい歌です。その乗りのまま、チャンチャチャンチャと股旅物演歌、『無情の旅』('66)へとなだれ込み、活きと切れのいい小節にしばし耳を傾けましょうという寸法。
 春日八郎は、カバー以外にもかなりの数の股旅演歌を歌っています。あまり知られていないのは無論売れなかったためで、『別れの波止場』にしても、もともとは股旅物として書かれていたのを、
「春日の股旅物は売れたためしがない」
 との理由から、歌詞だけをマドロス物に変えた経緯さえあったものらしい(長田暁二『昭和はやり唄秘話』)。股旅物をとくに通しでチェックもしていないので、どうこうとは言えませんけれども、不思議は不思議。現に『無情の旅』だってじつに気持がいい。ただ、結構聴いた今でも、「ここは落葉の裏街道」「紅がらとんぼがお地蔵さんに」の二箇所以外の歌詞が頭には全然浮かんでこない。しかもどっちも二番、三番のフレーズです。「合羽からげて三度笠」にしても、「夜が冷たい心が寒い」にしても、殺し文句は歌い出し。もしかするとその辺が、いや題がとまたごちゃごちゃ思いつつ、江戸から東京へとUターン。ここからは流しもの、酒場もの、その二つを兼ねたものが四曲続く。
 うち、『さすらいのギター』と『未練酒場』は『演歌百選』の付録のLP(『幻の傑作集』)に収録の曲。『演歌百選』の発売は'73年ですが、付録はかなり前の音源なのらしく、'60年代半ば、せいぜい後半までの声と聞こえます。
 歌の方は大全集からの『ギター流して三年目』('66)『港の酒場』('63)ともども、プログラム・ピクチャー風で、その分、スターとしての魅力がちゃんと楽しめるようにできている。邦楽では産み字と呼ばれる唱法らしいのですが、『港の酒場』での、「なァ、姐さんよ」の前に一拍入る母音、その直前のフレーズの「みたが」「しよが」「隅に」の最後の母音だけを独立させた形で、「──ァ、なァ姐さんよ」「──ィ、なァ姐さんよ」と歌うあたりの様の良さ。『ギター流して三年目』で繰り返される「参りやす」も含め、そこそこに入る俗な口語のこのうまさときたら……。俗がけしてマッチョにも下品にもならず、人の温もりと、堅気とはいえない男の粋さを共に感じさせてくれています。
 それにしても、「お姐ちゃん」という呼びかけを彼ほどによくこなれた日本語で、しかもいやらしくなく歌える人ってほかにいるでしょうか?

 真面目、実直とよく形容される春日八郎ですけれど、ユーモア、あると私は思っています。少なくともひばりよりはずっとある(大歌手・美空ひばりの瑕瑾はややユーモアに欠ける点だとも私は以前から思っています)。お人柄ではない、歌の話で、俗が嫌みにはならない理由の一つはどこかに漂う微妙なユーモアでしょう。そう、『うちの女房にゃ髭がある』の〝したたかに気弱〟みたいな亭主も妙に可笑しく、『あゝそれなのに』で亭主の浮気に拗ねるなにかぽわん、とした奥さんもまた可笑しい。
 鍾愛の表題曲、『東京波止場』('67)に続く『毎度おなじみ流し唄』('65)となると、もっとはっきりユーモラス、かつ、ややはしたなくっていい。ドゥドゥドゥドゥ〜♪ の男性コーラスさえムード歌謡のパロディー? と聞こえなくもなく、キメのハイトーンをなんと、
「ムード出しましょ、ムード出しましょスチャラカチンツン」
 の最初の「ムード」から使ってしまうという大胆さ、可笑しさ。ムード〜ォ、と上がりつつクレシェンドになるのを聞いたときについ漏れて出たダハハは、『女の階級』でのダハハとも微妙に違って──さあ、どう言えばいいんでしょう。植木等が美声で歌えば歌うほどに可笑しい『スーダラ節』とも一脈通じるものが、と言ったら言い過ぎか、ではないか。
 はしゃいだ気分を引き継いで次はラテン・マドロス物の『波止場で待ちな』('66)。これも大全集では〝待ちなよ〟と誤植されていて、そのせいなのか、NHKから没後すぐに出ているビデオ、『巨星の軌跡』でも〝待ちなよ〟との字幕になっている。紅白でちゃんと歌った歌なんですけどね? あるいはその際、本人が歌詞を間違えまくったのが祟ってなのか、どうも、ヒットもそうしなかったもののようですが、私としてはかなりお気に入り(でも、詞と曲調とが今一合っていないような気も)。
 主人公は、憎からず思ってはいた(無論、もう寝てはいた)女に本気で好きだと告白されて嬉々とするマドロス。そのキャラクター、およびシチュエーションにはふさわしくというか、気持、口を横にイーッと開いたような声、彼としては相当程度、はしたないような声で、それがまたいい。〝ゴキゲン〟なんていう昔の流行り言葉が頭についつい浮かんできそうな歌です。
 次も引き続きのハイ・テンションで、方向はがらっと変えての『相馬恋しや』('66)。
 EP盤のジャケット写真には、「NHK『若い民謡』あたらしい歌」との文字も見え、例によって検索してみるとこれは当時の土曜夜、八時からの三十分番組。見た記憶は全然ありませんけど、民謡と歌謡曲との融合をという趣旨のものであったのらしく、布施明なども出演していた模様。
(ということは、無論、テレビに出て歌っていたわけで……)
 聞きたかったなあ、ライヴのも、とまたしみじみと惜しくなってくる。小諸馬子唄が入る『妻恋峠』と同様、サビの部分はそのまま民謡で、こちらは新相馬節。故郷福島の歌ではあるし、三橋美智也のイメージが強い歌なのでもあるし、夫人には、

「ミッちゃんに負けないぞ」
 とよく言っていたという彼としては気合いも一入だったのでしょう、「ハァー」に始まるその箇所のソウルフルなこと。母ものもほんとうは苦手なんですが、まあ、しょうがないかしらと思い、ラストへの布石も兼ねてこの位置に置いてみました。
 終局部の初めはなるべくさらっとと、『熱海の雨』('66)を。
 あれもこれもおぼめかすような歌詞ながら、おそらくは温泉町の女と既婚の男との再会がどう、という話。そう好きではないタイプの詞のご当地ソングだし、要はムード歌謡だし──とも思いはするものの、初っ端からいきなりのとんでもなく綺麗なハイトーンにまいり、「あいぜーん、しーぐゥゥれー」で止めを刺される。作・編曲の塩谷純一は好きだし、なにか清冽な、みたいな感じもあるし、
(ま、いいかしら)
 と入れてお次は『別れ酒』('69)。ふられ男が一人飲むというおなじみのシチュエーションですけれど、中低音部がメインだからか、これまでの歌にはあまり感じられなかった〝中年男〟の気配の濃い佳曲。そこが七〇年代三曲への橋渡しという意味でもふさわしいと考えての選曲ですが、「たとえどれほど/愛していても」の「愛して」だけは耳になじまない。ここは是非「惚れて」と歌ってほしかったと私は思います。らしくないですもん。
 はみ出した三曲についてはまた次の回。

ナニモノカが語る歌
2017.4.11記

 十何年か前に死んだ、梅艶芳(アニタ・ムイ)という歌手がとても好きでした。短かったその生涯の晩年近くに、彼女は、『下輩子別再做女人(シャベイツビエザイツォニュイレン)──来世はもう女には生まれないように、というタイトルの歌を歌っています。とはいってもその意味も、
「もう 女に生まれてきてはだめ/あまりに苦しみの多い 私たちのこの人生/一度のくちづけのために また愛したりしてはだめなの/ただ あなたを裏切るだけの男を」
 そんな詞の意味もあとで教わって知っただけのこと。耳にした当初はなにもわからないままに、ただもう泣き出したい気持に襲われて、なんで、と驚きました。わかってみれば、右のように暗くて哀しい歌詞と題。ただ普通に歌ったら、女たちへの呪いの歌にもなりかねない代物ですが、無論、アニタは普通には歌っていない。ピアノ中心の静かなイントロに続けて、「女人(ニュイレン)」とまずは呼びかけるのですね、じつに優しく。
「女よ…… 愛しい 私の姉妹たちよ」
 一体、どんな立場の人が言うんだ? みたいなややシュールな呼びかけなんですが、だれが言うのかは、歌詞からではわからない。わかるのはただ、そのだれかが姉妹とみなしている女たち、弱い立場におかれたすべての女たちを愛おしんでいることと、
「どうか、不幸せにならないで。私のようには」
 と心から祈っているらしいこと。

 春日八郎とは逆に、女性には珍しいほどの低音が魅力だった歌手ですが、その深々としたアルトもおそらく手伝って、まだ三十代半ばだったアニタの声は、幾世代もの年月を生きてきた人の、というよりは、むしろ遠い昔に亡くなった女の声というようにも聞こえてきます。過ぎた年月のうちに、我が身に起きたできごとの記憶はもう朧になりながら、深い悲しみの記憶だけが消え去らずに残り、
「あなたたちだけは、どうか」
 そう、心から祈っているらしいこと。
 春日八郎とは逆に、女性には珍しいほどの低音が魅力の一つだった歌手ですが、その深々としたアルトも手伝って、まだ三十代半ばでしかないアニタの声は、幾世代もの年月を生きてきた人の、というよりは、むしろ遠い昔に亡くなった女の声というようにも聞こえてきます。過ぎた年月のうちに、我が身に起きたできごとの記憶はもう朧になりながら、深い悲しみの記憶だけが消え去らずに残り、
「あなたたちだけは、どうか」
 と、この世にいる女たちの身を案じてくれている。だからこそこうも哀切で、それでいて、聴いていると気持が楽になる。そんな想像を聴くたびにしたものでした。

『冷たい男の詩』('72)、『名もない女の詩』('78)。六年の年月をはさんで対をなすような題の二つの歌を聴くうちに、久しぶりに、そのアニタの歌を思い出しました。
 歌謡曲の詞は、私とも俺とも名乗らないでいるにしてもほぼ一人称。恋その他の当事者のいずれかか双方であると相場は決まっています。〝花売娘〟シリーズや『古城』、『山の吊橋』ののような歌もまあ、ときどきはあるもの、おつきあいはまだないヒロインを花か景色のごとくに愛でながら、いずれは当事者にと夢見なくもない人物か、旅先で感慨に浸る人物か、右と、物語の語り手とを兼任する人物か。漠然とそう聞きとってとくに怪しみはしません。それが、この二曲では妙に気にかかる。
 まずは、深い馴染みの女と別れた日の男を三つの場面でスケッチする『冷たい男の詩』。「話の終わりにゃ もって来いだった」というリフレーンが効いた、洒落たいい詩です(タイトルは除外)。
 タタタ、タタタ……と刻む、パーシー・フェイスの『夏の日の恋』を思わせるイントロのあとに、
「たそがれ 男は出かけて行った」
 とナニモノカが語り出す。中音の、むしろ穏やかなぐらいの声です。それが「小さな呼び声 背中に聞いて」の『て』──「背中」からノンブレスで「別れも告げず」になだれ込む、かなり長い「て」の中盤から一転してテンションもピッチも上がる。そこが、何度聞いてもスリリングでいいのですよね。直後の「振り向かず」からは再び抑えた調子に戻って、ラストの、「もって来いだった」に至ってまたふっ、と感情が放出される。
(──でも、だれの?)
 と、つい思うというわけです。
 このスタンスのものもあといくつか歌ってみてほしかった。いい感じじゃない、と思うからでもありますし、'70年代以降に歌える歌がもっと増えたのではないか、と想像するからでもあります。
 年を重ねれば、人の声は変わります。変わらない、変わらないと言われてきた春日八郎でさえも、七〇年前後を境にさすがに壮年期の声にはなっている。で、壮年期の男がするのはどんな恋? という問いへの答が『熱海の雨』の路線にすぐになるのが歌謡曲の世界、またはこの国。
 それって、春日八郎には「愛して」以上にらしくない路線でしょ? もっと一生懸命な恋、少なくとも女とはちゃんと横並びの位置の男の恋の方が似合っている、と私は思う。でも、一人称の恋でなくてもいいのなら、声の年は関係なくはない? 案外、らしい、らしくないさえ──なんていうのもまあ、死児の齢をの類い。それに、今も昔も人気はそうないらしいのですけどね、この歌は。

 次は、youtubeの検索で知った歌の一つ。詩とわざわざ書いてウタと読ませるのが前から苦手なもので、やあねえ、とスルーしかけたところで目についたのが、「春日八郎の隠れた名曲」というコメントです。手をとめてさらに読むと、


「大正から昭和にかけての娼家のおんながモチーフですが、テーマは日本人の生きる様子を暗示したモノのように思われて、初めてこの歌を聞いた時は衝撃を感じました」──Prairie Town

 へーえ、と聞いてみて得した、これはちょっと凄いみたいな歌。
 歌詞そのものは、全体としては「薄紅いろの 痛みは疼く」「翔べない鳩が哭いている」といった、実体があまりないといったらない言葉が並ぶ印象ですけど、
「悠子 冬子 潤子 加奈子……」
「幸子 明子 涼子 久邇子……」
 二箇所に入ってくる女の名の列挙を聞けば、ほかはあれでかえっていいのかも、と思えてくる。
 ここにアニタのあの歌の語り手の名があってもいいような、まるで、点鬼簿を読んでいるようなと私は思い、吐息と共に、
(──でも、だれが?)
 なぜかまた思うのですね。もしかして、娼館跡に今も立つ松の視点なのではないかしら、とか、橋の土台石がとか、と。
 一聴の価値のある名唱ではありますが、ラストはもっとべつの歌にしたい。しかし、この流れでは若い声には今さら「戻れもすまい」、等々。
 軽く抜くか、ではないかでも悩んだ末に選んでみたのが『流れ舟』('70)。『相馬恋しや』にも通うじつにソウルフル、かつ日本調の歌で、でもこっちは恋の歌。そして、どこから聞いてももう中年の男の声で──一人称で──好きあってはいても添えないらしい女への思いを切々、と歌い上げている。目にはいやでも浮かぶ暗い夜の海、そしておじさんの静かなパッション。
 うん、いいですよねえ……。

抱いたギターがすすり泣く
2017.4.14記

 そして〈港に赤い灯がともる〉。
 すでに焼いていた五枚分プラス、様々な理由からそこからは漏れた数曲、計120曲中から厳選したものだけあって、繰り返して聴いていても飽きない。不明の曲も二、三ありますが、録音時期はたぶんすべてが'70年代。そのことも、持ち歌ではないこともあってか、〈東京波止場〉のあの張りつめた気配は、こちらにはあんまりありません。練達の節回し、ここぞというところでの〝キラキラッ〟を楽しみつつ曲そのものの良さを味わおうという一枚です。
 でも当初の目論見の通りだったのは、最初が『女の階級』、最後が『東京の花売娘』ということだけで、好きなはずの阿部武雄、大村能章は一曲もなく、股旅ものも気がつけば『勘太郎月夜唄』のみ。さらに意外なことには、女歌が七曲も入ってしまっています。でもまあ、原唱者までが女なのは三曲だけで、その三曲も含めて、詞はどれも現代の女の口語ではない。
 じつは、私はひそかに彼を〝終助詞の春日〟と名づけています。女歌を歌ってほしくはない理由の半分も終助詞というか、語尾の問題(残る半分は、「女は男に冷たくされても恋せずにはいられない、弱い存在、でもそこがいい」みたいな詞を男が歌うなよ、おいおい、という問題)。ほんとは助詞全般の処理のしかたがとんでもなくうまいのですが、おしまいか、ブレスの前あたりに来やすい終助詞がやはり耳には残ります。
 たとえば『俺らは炭坑夫』の「ともにやろうネ」の、「話し手の願望受け入れ要求の『ネ』」と呼びたい「ネ」。『港のエトランゼ』での、「淋しじゃないか」のいくらか甘えたような、実際淋しがっていそうな「か」、色を微妙に変えながらふっと消えていく『酒は涙か溜息か』の一番、三番の一行目の終わりの「か」。
 列挙すれば切りはなく、それだけに、あの調子で「だわ」だの「なのよ」とはあまり歌ってほしくない。実際、新しめの女歌を歌う場合はその辺はさらっと流している気がしますけれども、それはそれでもったいない──というわけなんですね。ただし今回セレクトしたのは大半が戦前の歌。『綏芬河小唄』の「かえるのよ」のほかは、今の耳には女くさく響く終助詞、複合終助詞はない。右にしたって、「のォよーォォゥ」と小節が入ってくれるおかげで、「のよ」としては認識されにくいのです。

 意外な結果となった理由の最大のものは、曲自体より歌の出来映えの方に重点を置いてみた結果、岡晴夫、三橋美智也のカバーが多量に入ったことで、これにオープニングとラストの二曲を足せば残はわずかに十一曲。スタンダードを幅広くという構成にはもうなりようがなかったのでした。
 駆け出し時代はよくカバーをした先輩であり、前座を勤めた折には心に沁みる気遣いをみせてもくれたという岡晴夫。仲の良い友人であり、「負けないぞ」と常に意識もしたライバル、三橋美智也。
 オリジナル以上の歌唱をという思いはおそらく大変強く、加えて、音域自体も近いとあれば、悪かろうはずはありません。


「いっそ、どの歌も春日八郎の方のオリジナルであればよかったと思うぐらいいい。岡晴夫にはすまんが」──昭和マニア
「三橋美智也の歌ですが、まるで持ち歌のように歌っていますね」
──kisaragi8

 口々に言う通りのことで、『上海の花売娘』も大いによかったし、『リンゴ村から』も、『おんな船頭歌』も『リンゴ花咲く故郷へ』もよかった。あれもこれも入れたかったと言いながら、なぜ『民謡酒場』で、なぜ『俺ら炭坑夫』であるかといえば、似た曲調のものはなるべくは避けたい。好きな『港のエトランゼ』のイントロ部分が意外なほど威勢がいいもので、そこへ向けての流れも作りたい。でもなによりもこういう、鄙びた歌での軽さというか、粋さが楽しくていい。ことに『俺ら炭坑夫』の方はなにか色っぽくていいのですよね、ことに二番が。
「俺らにナー/惚れるあほうがいるものか/泥ンコもぐらのこの身体(からだ)」
 歌い出しのこの箇所は一番と同様、「惚れる」から「身体」までのまさかな長さをノンブレスで一気に歌っています。三橋美智也もそこは同じですが、譜面では「ら」と同じキーの「だ」を「だッ」とはね上げる。生きているのが嬉しくってもうたまらないとでもいうようで、それはそれで可愛くていいのですけれど、春日版では、ここは譜面のままに軽めにただ止める。その差が、
「夢じゃないかよおねえさん/酔って 酔って また酔って/酒がさめても好きならば/エー ともにやろうネ」
 に至って効いてくる、ような気がする。三橋版の炭坑夫と「おねえさん」が酒場──下は土間でも波打つ畳でもべつに構わないんですが、そこに終始い続ける、と聞こえるのに対し、春日版では、「酔って 酔って」から次の「また酔って」のあいだにいくらか時が流れて、河岸を二人は変えている、
(たとえば、安宿の煎餅布団の中に……)
 そうとった方がむしろ自然で、その想像は十分にさせる「エー」の消え際で、「やろネ」の「ネ」。まあ、三橋美智也の「とォもにィ」も相当程度優しくはありますけれど、先ほどのひどく無邪気な元気の記憶が邪魔をするんですね、どうも。
 その種の案外隅におけない感じは、『港のエトランゼ』にもちらちらとある。またしても二番です。
「抱いたギターを爪弾けば/すすり泣きするいじらしさ」
 ギターの形態はなににとか今さら言わなくたって、一番で、
「もっとお寄りよ 淋しじゃないか」
 とすでに──あの少し甘えタな、「勧誘・依頼の意」の終助詞で──呼び寄せている以上、抱かれて泣くのはもう一人のエトランゼ、つまりは「お前」でしかない上に、すすり泣きの理由だって大いに怪しい。でも無論、まあ、いやらしいという向きにはただのギターですけれど、なにか? と聞き返してやればいい、と。『蘇州夜曲』ですすり泣く「柳」、『旅の夜風』で泣くあの「ほろほろ鳥」の伝。もともとそういう歌詞で、岡晴夫もその気では歌っていると思いますけれども、〝終助詞の〟春日八郎版の方がもっと、ちゃんと、そう聞こえるのですよね。
「『実直すぎて女には縁のない男の歌』ばっかり歌った人ですね。勿論その歌は〝恨み節〟なんかじゃなくて、実直であるがゆえにせつない男の、せつない恋の歌──すなわち『失恋の歌』ですけど。色気のあるヒット曲といったら『長崎の女』ぐらいなんですから、〝日本の男〟ですね」
  橋本治が書けば、べつのある人も、


「春日八郎の声は実直な抒情とでもいえようか」──三浦衛「港町横濱 よもやま日記」

 とブログに記し、私は小さな声で、
(まあわかるけど、でもね……)
 実直とエロだって、相反する要素の対なのではないの、と言いたい気持についなるのです。
 耳さへ、あだあだしきにや?


タイトルは色川武大の名エッセイ、『唄えば天国ジャズソング』から拝借したものです。



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