夢で逢いましょう

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 1970.7.5.
 北澤尚子様
  本人から聞くところによれば、三好は、母上による出入り禁止令をくらった模様とのこと。危険人物と正しくも判断されての結果かと思いますが、ハハ、いい気味ではないか。
 一昨年の秋の詩集以来、その方面でのあなたの活躍を聞きませんが、今は絵に専念? それはそれで結構ながら、やや惜しい気もと三好、内藤とも先日話したところ也。
 ちなみに、こちらは徒党など組んで、またチンケな雑誌を出す予定です。参加をもしご希望であれば連絡を下さい。電話は呼び出し方式につき、相成るべくは葉書で。無論、封書ならますます結構。
 夏の休みのうちにでも是非会いましょう。
                         木下隆史拝 

 1971.9.11.
 尚子さん
 今年の四月、父が突然のニューヨーク勤務となり、豚児、これを追ってスネをかじりに参りました。折も折、七月の四日にたどり着いて今もおります、という次第。
 いるアパートは、エンパイア・ステートビルのドアからちょうど真北に地下鉄で行って一時間、丘のある、リスのいる公園にある、十メートル四方の六階の部屋。月二百ドルの家賃だそうで、台所にはでかい冷蔵庫があります。ぼく、現在主婦業と親父のヒモ業、もとい、ヒモツキのスネかじり。とはいうものの三度の飯を毎日作るのは、もうほんとにほんとにご苦労さん、なのだよ。

 二年の間、陸送のトラックにずっと乗っかって、今年の二月にとうとう死にそうになり、貯めた金でなんとかしなくっちゃ、と思いました。ここは一つパーッ、と男らしく、子供らしく使うべきだと決心し、ニューヨーク行き・片道の飛行機の切符をパッと購入。外国人学校の授業料もパーッと払ったら、なんにもなくなりました(タメイキ……。グイッと一杯ハイボール)。
 この秋は、カレッジ入学資格のための勉強スケジュールでもういっぱいいっぱい。当分当分、日本に行くことはどうもなさそうです。先行きまた親父が帰ったら、ライセンスをとってまたトラックにでも乗っかって、違反にならない範囲でちょこっと稼がなくっちゃ(一年間にある期間までなら、学生ビザでもアルバイトができる仕組がちょこっとあるのです)。

 尚子さんは今、どんな方針でがんばっているのですか。尚子さんは、先行き何になるのでしょうか。そしてぼくは何に? みんなみんな、いつかは灰になるのです(そろそろもうヨッパライ)。

 健康で、いい絵を描いてください。ではさよなら。
                           三好弘

 1972.1.26.

 
尚子さん
 昨年十月に、あなたからの手紙を受け取った。それによると、俺は手形を送らなければならないことになっていた。実は一度はベタベタやってみたのですが、考えてみると、俺は生まれてこの方、手相など見てもらったことはない。先を占ってもらった途端にポックリ行きそうな気がして恐くなった。身勝手な言い訳だが、あの時は失礼をさせてもらった。
 それと俺の手相についてもう一言加えておくと、こちらへ来て、毎日皿を洗っていたら、人相も手相も変わってきた。皺がやたら多くなって、井の字だの、五の字だのがいっぱい並んでる。絣のデモのようだ。そんな手ですから、占ってもらうほどのものじゃないです。
 さて、君は、大学も二年になるんでしたね。どうですか、学生生活は。あまり飲み過ぎてオマワリの世話になどはならんよう。そろそろ卒業制作の準備など始めているのでしょうか。新しい年としての狙いももう定まり出した頃? 何にせよ、健康を祈ります。
 では雑談を少し。

 今日は中国のお祭りだそうで、そのせいかどうか、あるラジオ放送局で、"China Town"と題して今朝の五時から二十四時間のtalking programを組んでナニカ盛んにやっとります。昼の一時から今さっきまで、暇に任せて十時間と少しばかりつきあっていたというわけね。ニューヨークでは近頃チャイナが流行りで、新聞もテレビもラジオもチャイナ、チャイナとややウルチャイナなのだよ。現に大学でも──おっと、言い遅れましたが、今現在俺はニューヨーク大学の新入生で、中国史と社会学、修辞学をとっていまして、あれもこれもなにもかもがちんぷんかんぷん。
 で、このあいだもヘンな教授が長い長いチャイナの講義をやっていた。じつは、何を隠そう、俺は楽しみに待っていたのです、彼の登場を。黄河はイエロー・リバー、長安はハッピー・シティーとやりなさるのには何か違和感……。とはいうものの、当然ながらやはり大した中国通。中国料理のメニューなど俺よりよほど知っている(かく言う俺は全然知らない)。彼が蘊蓄をかたむけるのは、とりわけチャイナ・タウンについてのお話で、世界中の主なるチャイナ・タウンはほとんどまわったのだそうだ。彼の講義で開口一番、聞かれたことは、
「なんであんたらは、ニュー・ヨークに日本人街を作らへんの?」
 でした。どうにも答えられなかった、そこでしかたなく、言いました。
「これからよーく勉強し、先生のご期待に応えられるジャパニーズ・タウンを作ります!」

 去年の秋、大学入学に先立って受けた講義の数々で目立っていたのは、なんといっても人種問題。叩き込まれました。これに関する講義をするのは黒人。ブラックパワーの中枢リーダーが大学にきて、俺たち外国人に「ブラックとは何か?」とやるのです。まさに生きた講義で、凄まじい迫力に満ちたものだった。彼等の、というよりも、現在のアメリカで常識となりつつある言葉、ベトナムの民族主義に新しい解釈をもたらした、ともいえる一言は、プライド!
 彼等は言う。
「ブラック・パワーの指導者は、三年前までは我々がブラックと呼ばれることを拒み、べつの人種であると言われることを嫌った。しかし今は違う。今、我々はブラックと呼ばれることを歓迎する。そして我々は世界に向かって大声で叫んでいる。"Black is Beautiful!!" すべては、そこから始まる」
 このBeautifulの重みに較べたら、日本のどこぞの宣伝の、ナントカカントカBeautiful! なんていうものは、カッパの屁のまた幽霊。この国では今すべての声が生きている。世の中は、すべての声を生かす方向に進みつつある──と考えるのはもちろん行き過ぎ、先を急ぎ過ぎで、成り行きはあと五年、十年は見てみなければまだまだわからん。たしかそうなのは、人種問題とは、人権とは? と気張って考えたりすれば、何も見えない、何もつかめないということぐらい。
 まあ、とにかく俺、未だ血の気だけは多いです。

 支離滅裂にどうもなってきた……みたい。ではオシマイ。
 はりきって描いてください。
                              弘

 3.20.
 しばらくです、尚子さん。
 きょうは三月二十日で、春休みもあと二日で終わりというところ、New Yorkは気温程好く花曇り。昼近く、君から手紙が届きました。封筒の中から、料理のカードみたいな青い紙が五枚、白い紙が一枚出てきた。最後の白い紙には、ずいぶんと長い角の丸顔の鬼が鼻をすすっている絵が描いてあって、日付は「節分」となっていました。え! 節分!
 ということは、この手紙、二ヶ月近くかかって着いたわけで、どうしてか、おわかりですか、あなた。船便で来たからですよ。ああ、尚子さん、何も四十円ケチることはないでしょう。封筒には五十円の切手しか貼っていなかったんですよ。郵便屋さん、これを見て、VIA AIR MAIL という文字を見事に×印でもって消しちまったんです。そしてのんびり太平洋をお船に乗ってやってきたというわけ。それを知ってか知らずか、どちらにせよ、相変わらず君は妙なところに鷹揚で、憎めない人だよ、全く。

 君の手紙、血の気大好きの線でもって書いてあった。デッサンの授業に始まって、『血と怒りの河』なる西部劇、プレスリーの映画、幻の白い馬とイメージ重ねて、ぼくの手習いへの疑惑……。いちばん終いに白い紙ってやっぱりイイワ! となっておりました。とてもおもしろかった。何がおもしろかったっていうと、登場人物の中で、いちばん血の気の少ないのはどうやら君のような気がしてね……。だからおもしろかった。
 関係ないが、いつもクラス会で君は素敵な服を着ていたな。会が終わって男どもで飲んだとき、みんなでよくその話をしたものだった。君はいちばん血の気の多い人に見えたし、いつも、ハッとさせられたよ。でも今はどうなんだろう。ぼくは君があの独特の血の気を発散させずに固まっていっちゃうのはとても残念に思います。いや、これは言い過ぎというもの。実は、いつもスパークしっぱなしっていう感じの君がぼくはとても好きだった、と、それだけのことよ。

 当方、無事、中間試験もギリギリでバスし、やれ一息と思う間もなく、市立大学への転校手続きに追われ、加えて父母が揃ってニューヨークに住むことになり、どうも予定が狂ってきたので、生活方針いろいろをまた考えて……と、頭のほうだけは休まる暇無し。去年はずっとトラックにばかり乗っかって体が休む暇が無かったのですから、ちょうど逆さま。どちらもくたびれる。しかし、こうして、机の前に一日中坐っていられるのは無上の幸福というもの……。

(前ページ下がちょんぎれていますが、実は、赤軍派リンチ事件と善太三平物語をかなり無理して結び付けようとして見事に失敗、二ページと五分の一を「総括」いたしました)
 そろそろアメリカも一年になるが、英語はなかなかうまくならないし、イカした女はいても、一緒になれそうな女はみつからない。苦しいとこです。おまけに体が小さいから、カッとなってケンカしても必ず負ける。右からも左からもやられっぱなしの十ヶ月、こうなったらせめて持久戦だ。何の因果でNew Yorkにいるかしらんが、今の俺、どうしようもなく張り切っていることは確か。根がばかだから、何があっても、いつも元気ですよ。尚子さん、それではまた。いい絵を描いてください。
                           三好弘

 7.21.
 尚子さん
 ずいぶんずいぶんご無沙汰ですが、その後、すべてOKですか。
 当方、試験も無事終えて、三ヶ月の夏休み。さてどうしたものかと思案中。加えて、来年の四月には父が帰国するというので、その後の身の振り方についてもあれこれ考えなくっては、という次第。
 聞くところによると、木下が結婚したそうで……。おめでとうと、もし会ったら伝えてください。いつかまた。それまで元気でな。
                             弘

  12.24.
 尚子さん
 しばらくサン・フランシスコに魚を食べに出かけ、帰ってきたのが秋。君から長い手紙をもらったのが夏。今は冬。ずいぶんと便りをしなくて、本当にごめんね。当方、もう二年生。元気です。尚子さん、どうか、たくさん変化があって、楽しい年を迎えて下さい。ご家族によろしく。
                              弘


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