かくかくの事情で貴町旧体育館がいつ頃建ったものなのかを調べております、なにとぞ、御教示のほどを──とのメールを南種子の町役場に送信したのは今月初め。かなり昔の、それもすでにない施設のことで、無理かもとは思いつつでしたが、数日後に返信が到着。月日がわかる資料こそもう見当たらないものの、年なら昭和の四二年で間違いがなく、往時を知る人からも、「たしかに、春日さんのショーがあった」と確認できたのこと。白いタキシードの記憶はおよそではなく、ちょうど五十年前のものだったと判明。私自身が訪れた年のことともたしかにわかって、なぜかちょっと嬉しい気持になりました。南種子町区役所企画課さん、いろいろ、ありがとうございました。
でも月まではまさか同じじゃない。むしろ、そう思いたい。なにしろ私たちが行ったのは七月下旬から八月上旬、全国的猛暑だった年のその時期とあって、島は凄まじい高温。暑さもまた昔から「苦手なんだよ」で、ここにはもうこれきりでと思い、実際、二度とは行かなかったぐらいのものでした。
とにかく暑いので、昼はただただ昼寝のみ。それでも日が傾くのを待って浜にまで出れば、海から吹く風だけは涼しいのですね。空も、透けて底まで見えそうな海も絵葉書のままの青一色。夜になってまた出れば、今度は墨でも流したような、という通りのこれも一色。沖に昼には見えていた馬毛島はもう闇に溶け、月影の下、寄せる波だけがきらきら、と光っていた。
さきの戦争のときには、この砂浜には溺死体がいくつもいくつも打ち上げられた、馬毛の浜にもじゃったよと、あれは、たしか伯母に聞いたのでしたっけ。おかげで、浜に寄せてくる無数の光が死んだ人たちが手に手にかかげ持つ灯火に見えて、怖かった。とても綺麗ではありましたけどね。
島では、夜は今でもあんなに真っ暗で、月は、あんなに明るいままかな、もう違うかな?
それにしても一体どの船から漂着したものだったのか、
(まさか、大和からでは遠過ぎるだろうし)
気になって少し調べたら、種子島の西方の沖で撃沈された輸送船からで、撃沈の時期は'45年の二月。陸軍歩兵、渡部実の乗る輸送船が基隆の沖合いで座礁、なんとか台北にまでたどり着いたのと似たような頃で、どちらも、あの夏から遡れば二二年前のこと。今から遡ったあの夏と比較してみれば、遙かに近い過去のことでした。
そんな光景を妙にありありと思い出したのは、島言葉の書き込みと島からのメールのせいではありますけれど、たぶん、いくらかは、先日海ほたるのデッキから見た海のせい。久々に視界いっぱいが海と空ばかりなどという景色を見てきたせいでもあったんでしょう。でも、どうしてなんでしょうねえ? 海って、いつまで見ていても飽きない。そう思うのは私だけではないらしく、「春日八郎偲ぶ会」の面々の中にも、ただ黙々と海の方をという向きは少なくなかったのでした。
というわけで、ご報告が後先にはなりましたけど、じつは先月、「全国春日八郎偲ぶ会」にえいやっ、と入会。月例会にまずは出席して顔見世ののち、日をあらためて、木更津へのバス旅行に参加、『お富さん』ゆかりの地で切られ与三の墓にも詣で、近くの酒造では辛口の銘酒、「お富さん」も買った。興味深い──当然、春日八郎に関する───話もいくつか聞いて、満足、満足で帰途についたという次第。ええ、なかなかいいものでした、大人の遠足は。
バスに乗り込むとすでに流れている歌が嬉しい。もちろん会が会です。超有名曲ばかりであるはずもなく、初めて聞く歌なんかもかかる。うしろの座席の会長さんに、
「これ、なんでしょう?」
振り返って訊ねればすぐに教えてももらえて、嬉しいの自乗。入手できていないビデオも車内で初めて鑑賞、これがまたよくて、是非ヤフオクでゲットしなくてはと思い、家でももっといい音で聴きたいともつい思う。
そういえば、以前見たオーディオ・マニアの人のブログに、某社の某イヤホンで春日八郎を聴いたら、高音部にぞくぞくっ、とするような艶がとかあったのでした。並のアンプよりはいいぐらいの値段のものなので、見なかったと思うことにはしたものの、違うと、違いますからね、オーディオって。
ずいぶん以前、近所にオーディオ・マニアの知人がいたことがあって、彼のアパートの部屋には、小型冷蔵庫ほどもあるスピーカーが鎮座していたのでしたっけ。闇に輝く真空管アンプはもちろん手製。一度だけ何人かで押しかけて、お隣いいの? とは思いながら何時間か聴きました。なにを聴いたのかはもう忘れても、音がとても素晴らしかったことはまだちゃんと憶えている。なにしろ、翌日すぐに中古のタンノイを買ってきてしまったほど、インパクトがあったのでしたから。
残念ながら、今の部屋では大きくは鳴らせない上にまともには配置もできず、その辺はもう、あきらめたつもりでいたのですけど、バス旅行以来、なんとかならないものかと思ってしまう。そこそこいいイヤホンかヘッドホンなんかがあれば、少なくとも今よりは、等々と。
誘惑にはもともと弱いたちです。ぞくぞくっの〝ぞく〟ぐらいでいいから体験したい、でも資金がねと数日じたばたの末、夏の服は──たぶん、秋冬の服も──今年は見送って、ということで、某社は某社の製品ながら、分相応からやや背伸びという程度のものを購入。まずはウォークマンで試してみると、高音ばかりではなく、中低音部も大変クリア。例の終助詞も細部に到るまでよく聴きとれる。歌により、詞によってさまざまな消え際だってじつによく違いがわかるのですね。『酒は涙か溜息か』のあの二箇所の「か」なんかは、それこそ微かに瞬いてから砂に消えていく夜の波の風情。あきらかに前よりもぞくっときます。
しかも、何曲かでは前のイヤホンでは気づかなかったブレスの音が聴きとれたりもする。今のところは気がついたのはどれも女歌、それも終わったか見通しの暗い恋の歌ばかりとあって、うーん、と感心するような、半ばはあきれるような。
この感じだと、ほかのももっとちゃんと聴き直さなくては、
(それに、月例会で歌う歌だってそろそろ決めて練習しなくては……)
まあ、そんなこんなで、目下は閑中忙あり、または、薄暗い日々の中での此処での一と殷盛り──とでもいうところ。やっとみつけた『岡晴夫を歌う』が無事届いたら、もうそう突っ走らずに、手許にすでにあるものをゆっくり、じっくりと聴き返し、先輩方のお話もまたじっくりとと思っています。
とはいえ、「春日八郎偲ぶ会」編纂の大部の資料、『春日八郎歌謡史』のディスコグラフィーをじっくりと見れば、興味津々の音源(*)がまだずいぶんある模様。知れば知るほど煩悩がという可能性がないこともなく、
(現に、見たおかげで欲しくなったビデオも一つ、)
などと思うと、少々怖いのですけれどもね?
*興味津々の音源
三橋美智也の『慕情』とカップリングの非売品シングル盤『枯葉』('71)、やはり非売品の『新相馬節/さのさ』('72)、すべて不明ではあるものの、大瀧詠一のアレでは、と推測される『恋するカレン』等。