♪春日八郎アーカイヴ♪

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事の始めは
──2017.2.16記──

「ご挨拶」に書いた「ひょんなこと」というのはまあ、こんなようなことでした。
 十ばかりは年長の知人に、
「股旅物で一枚、CDを作ってくれる?」
 と頼まれたのが去年の十月の末。その手の作業はオープン・リールの時分からの私の趣味ですし、ジャンルも守備範囲内。はいはいと二つ返事で受けてはきたものの、いざ編集をと思って探してみれば、家にある音源だけでは一枚分にはならない。ではとネットを早速渉猟。歌いかたが古臭過ぎず、音質もまあまあのものがあるならオリジナル、ない場合には原曲をそう崩さない出来のいいカバーの方をと決めて、あれとこれとと選んでいきました。
 かねて知るものだけではまだ足りず、「股旅歌謡」で検索して初め
て聞いたような歌なんかも良ければ加え、揃えば即編集。当然、繰り返して何回も聴き、完成後には、自宅用にも焼いたものを晩酌時の友としてまたまた聴いた。
 夜ガ冷タイ世ガ世デアレバ、阿呆阿呆と旅烏。
 名文句も名調子もほろ酔い加減の耳にはぴたり、とはまって心地良く、つい毎晩聴くうちに、
(春日八郎がいいのではないの、一番)
 だんだん、そんな気がしてき始めたのでした。
 ほかの面々にしたって、悪かろうはずはない。なにしろ上原敏、小畑実、バタやん、美智也にひばりにはるみ、藤圭子、へんに立派になる前の三波春夫です。みんないい声でじつにうまくて味もある。ただどういうか、〝想定内〟みたいな感じの良さなのですね。
 美空ひばりは母の趣味につきあって何度か、都はるみも一度はコンサートに行っている。どちらも、だれの曲でもうまいことはよく知っています。生でこそ聞き損ねはしたものの、藤圭子は出てきた頃からずっと好きだし、カバーが大変いいのも先刻承知。残る男性歌手にしても大体、予期の範囲内で十分良かったわけなんですが、一人、春日八郎にはええっ、と驚いた。漠然と記憶にあった、「渋い美声で品もよく、一流の部類の歌手」なんていう程度の話ではない、もう、めちゃめちゃいい。今回初めて知った──ごく若い頃の録音らしい──『妻恋峠』の小諸馬子唄の部分で聞かせる高音部のなんと綺麗なこと! もっとあとの録音らしい『旅姿三人男』もじつに様よく、
(小節をこう綺麗に回せる人だったとは……)
 それも、これも、なんにも私は知らずにいたようだったとようやく気がついたという次第。
 考えてみれば、超有名曲五曲(『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』『山の吊橋』『長崎の女』)のほかの春日八郎の歌を聞いた記憶はないに近い。
 上記の五曲にしても、初めは、おぼえたのは紅白でと思ったものの、流行っていた当時では年もまだいかず、寝落ちせず、『ゆく年くる年』にまでたどりつけたのは、たぶん『長崎の女』あたりから。「渋い美声」というイメージなども、案外耳には残っている話す声の印象等も、たぶん、父が好きだった『思い出のメロディー』あたりをはたで見聞きするうちにできたものだったんでしょう。
 そういえば、戦前、戦中からの歌手が出てくるたびに、
「声が落ちたねえ……」
 と嘆いていた父が、彼の出番になると、
「衰えないねえ、この人は」
 しみじみ感心したように言い、
「年が違うでしょう……。だって」
 あきれた声で母が言ったりもしたのだったっけ──とも思いますけれども、時期等は不明。なんにしても、親の家に私がいたのは'70年代末近くまでのことで、たしかに、まだ衰えるどころではない。こうしてわかってみれば、彼は全盛期に続く長い円熟期の中に十分にいたはずでした。
(なぜわからなかったんだ? あのときに、この良さが)
 今さら不覚を悔やんでも為ん方もなく、とにかく、聞かなくっては、もっと、とネットにUターン。結構沢山あったほかのヒット曲、これはもう山ほどあったスタンダード
(*1)のカバーを聴きに聴き、聴くほどにはまっていきました。

 ものにはもともとはまるたちです。はまれば、短期集中であれこれと知りたくなる性分でもあって、加えて、この良さがなぜ、というのも含めて不思議に思う点もいくつかはあったのでした。
 とはいえ、さすがに国会図書館、大宅壮一文庫にまで行くのはめんどうくさい。
 まずは安易にネットでと、あちらこちらをのぞいてみたものの、情報はあまりなくて、というあたりの事情は「ご挨拶」に記しました通り。ディスコグラフィーから公演データまでを網羅した公式サイトのあるひばりとは大違いです。
 キングレコードのサイトを見ても、ディスコグラフィー、バイオグラフィー共になく、そもそも今でも購入できるCD自体あんまりない。もとのアルバムのままでデジタル化されているものはごくごく少なく、出ていたものも大半はもう廃盤で、あるのは高価なCDボックス、曲が重複しまくるベスト盤、軍歌の類い。DVDに至ってはカラオケばかりで、ライヴのは一つもない。単曲でのデジタル化は皆無に近い。CDを買ってみてもオリジナルの収録アルバム名、録音時の記載はない。ライナー・ノウツさえ、ボックスでもない限りは一行もない、というのもまたすでに記した通りです(キングレコードさん、その辺、ほんとうになんとかして下さいね)。
 しかたなくなく日々検索、あまたのブログ、サイトに片端から目を通し、収録曲が読み取れるジャケット写真を探し、youtubeもくまなく見て手に入れるべきもののリストを作成。お次はヤフオク、amazonの中古市場、日本の古本屋等を日々チェックして──安ければ──入手する。時には町内の図書館の蔵書、視聴覚資料を検索して予約する。
 そんなこんなで、疾風・怒涛の二ヶ月ののちには、デジタル音源百数十曲、LP数枚、自伝一冊、関連書籍数冊を入手。聴いて、読んで、また聴くという日々となりました。いい加減、入力オーバーになってきた頭の整理を兼ねて作り始めたのがこのアーカイヴ。資料として使えるように、出典その他はなるべく明記──のつもりではありますけれど、チェック能力はかなり低いので、
(ミス多いんだろうなあ)
 とやや不安ではあります。事実の誤認がある、数字が違う、つけた印が合っていないその他、お目にとまりましたら是非ご一報ください。

1 適当な表現とも思っていませんが、〝懐メロ〟という言葉を避けたいこと
と、先行きはそうなってほしい思いも込めて、とりあえず使っています。


彼のあの声
── 2017.2.18記 ──

 ものにはまると聞きたくなるのがほかの人の意見です。
べつに、どこがどう好き程度のことでいい。とにかく聞いてみたいし、こっちも言いたい。あの歌のあの小節がね、うんうん、あの「か」のビブラートがね、とか言いあうだけでも十分楽しそうだし、運が良ければ、〝不思議〟を解く鍵だってみつけられるのかもしれない。とはいえ今日び、「最近、春日八郎に……」などと振って、すぐ乗ってくる相手が身近にいる気はあんまりしない。
 派手な出遅れと狭い交友範囲を嘆きつつ、よその人の意見をいろいろ検索するうちに、おもしろいことに気がつきました。彼の──例の、有名な──声に対する相反する反応です。

「春日八郎ばりの美声」
 昔は、そんな表現をよく耳にしていたものでした。不覚の原因の一つはおそらくはここにもあって、美声よりもハスキーな声、相当量の空気とノイズとを含んだ声の方が私は好きだった。音吐朗々の美声だなんて、聞いていて照れくさくって、と思いもし、公言さえしていた記憶がたしかある。べつに春日八郎についてではなくて、オペラや、いわゆる声楽系の歌手についてのことでしたけれども。
 それはまあおいて、春日八郎が美声であること、とくに、その高音部が美しいという点については、異議はだれも唱えません。
 たとえばこんなぐあい。


「(三橋美智也と共に)昭和の流行歌の世界を代表する二代美声」──CDジャーナル
「ハリがあってピリッと決まるバイオリンのような声」──日本芸能人名事典
「飛び切りの美声」
──吉田進(作曲家)
「声がすごくいい」
──佐藤泉(音楽評論家)
「怪物っていっていいくらい、いい声」
──平井賢(音楽評論家)
「あのハリのある高音」
──船村徹(作曲家)
「渋みのある高音美声」
──菊池清麿(音楽メディア史研究家)

 以下はキングレコード系の人、内輪の人たちではありますが、

「声がいいね!」──林伊佐緒(歌手、作曲家)
「澄んだ美しい高音」
──細川潤一(作曲家)
「張りのある美声」
──吉田矢健治(作曲家)
「張りと艶のある美声はみごと」
矢野亮(音楽ディレクター、作詞家)

 そして、ネット上のみんなも声を揃えて、

「張りがあって声量があって、まったく涙ものの声」──le gitan/Gitanの趣味
「ビンビンの美声」
──ロデ夏目
「かーんと響きのいい声」
──古書上々堂のブログ
「冴え渡る高音の歌声」
──郵便局員のごった煮よもやまブログ
「限りなく美しい高音」
──Blog KUMEPIT ときど記
「なんと綺麗なハイトーン」
──aibiki
「高音に色気と哀愁がある。それでいて媚が無い」
──蕃茄庵日録

 等、等と語る。ただし、その美しい高音が明るいものか、むしろ暗いかについては、まるで正反対の意見というか、反応があるんですね。
 ヤフオクで入手した「春日八郎偲ぶ会」会報のバックナンバーの、「思い出の新聞記事から」と題する見開きの左ページには、東京中日スポーツの追悼コラム、「春日八郎さんに学ぶもの」が転載されている。記者は、昨今の男性演歌がなぜか一様に暗く、詞のテーマも狭いことへの疑義に続けて、
「春日八郎は、その明るさとテーマの幅の広さで抜きん出ていた」
 と述べているわけなのですが、右ページには、「別れの一本杉に思う─春日八郎の命日に寄せて─」と題する「福島民報」'02年のコラムも転載されています。寄稿者は佐藤禀一。彼は前年の著書、『演歌の達人− 高音(ハイノート)の哀しみ』でも春日八郎について書いていて、コラムはほぼその要約。
 曰く、
「確かに高音に美しい響きを持った歌い手ではあるが、私には、明るいとは思えない。むしろ、哀しく寂しく聞こえる。しかも余韻が感じられない。歌声を聴いていると、伸ばした高音が突然すうっと消える。それで一層、歌が哀しく寂しく感じられる」
「美しくも哀しい〝濡れた抒情〟の表現者として抜きん出た存在」
「『お富さん』『俺と影法師』『長崎の女』……。どの歌にも寂寥が宿っている」

『お富さん』といえば、阿久悠は、
「暗い時代の、ええじゃないか、であったと思う」
 と『愛すべき名歌たち』の中で書き、
「アナーキーである。どこか自棄的にも思える」
 と彼の耳には聞こえる歌を、
「春日八郎は、これ以上はない生真面目な歌唱法で歌っている。手拍子が似合わない律義な歌い方なのである。それがよかった」
 とも書いています。
 同じ歌での春日の唱法を、
「ドスがきいていて陰々滅々」
 そう聞く人(南原四郎『歌謡界銘々伝』)がいる一方で、


「透き通るように美しい声で歌った」──山岸勝榮/日英語サロン

 と、幼時の記憶としてブログに綴っている人もいる。
 追悼記事から一月後の「岩手日日」のコラムには、
「春日の歌はご承知のように、泣きが多く、愁いが強い」
 と書かれ、のちの「CDジャーナル」の(たぶん、同一の評者による)アルバム・レビューには、


「万年青年風のヴォーカル」
「陽性というか、伸びやかな歌声」
「暖かく包み込む彼の雄大な歌声」
「北島三郎に共通する陽性のヴォーカル」
「春日の軽やかで高音の伸びがきれいな端正な歌唱」
「あか抜けた陽性のヴォーカル」


 と、繰り返して書かれていたりする(ただし最後のものは「でいながら、 どことなく地方出身者を感じさせるしっぽを持っていた」と続くのですが)。
 そのみんなが「それがよかった」とはそれぞれにいうのですから、
(おもしろいのよねえ……。だから、ほかの人の意見を聞くってね?)
 ますます、思いもするというわけです。


ときに切なく光るもの
── 2017.2.20記 ──

 前回、一言だけを引用した『歌謡界銘々伝』は、「自叙伝に頼りつつ彼らの音楽性を開示」しようと試みた本。春日八郎についての章は、二冊ある自伝のうちの『どしゃ降り人生』に依拠するものです。
「彼らの歌は、彼らの人生以外のなにものでもない」との前提からあえてという方針なのらしく、その上で、著者は「彼の歌声は人には言えぬ苦労をなめたという彼の青春を映し出す」とも記す。
 ただし、それがかねてからの歌声への印象が読んで腑に落ちての感想なのか、その逆なのかがどうもよくはわからない、というだけではなくて、歌に作り手の人生、ことに自伝的〝事実〟の反映を読もう、というその方針自体が私はそう好きじゃない。歌手を知るならまずは歌、一にも二にも歌。こんな歌を歌えてしまうってどんな人かとはやはり思うので、つい、あれこれと読みはしますけど、そこから〝知った〟みたいなことは、聞く際にはできるだけ忘れていたい。
(大体、忘れさせてくれてない? そういうことは)
 歌っているのがもしいい歌手だとしたら、今・そこにあるのは「彼らの」個々の人生とかでは疾うになく、人生そのもの、の欠片みたいなもの、きらきらとなんだか光るもの。
(わあ……)
 と言葉を失って、その輝きにただ見惚れていればいい。非・同業者の特権ですからね、それが。言葉がもし出てくるとしてももっとあと、ずっとあとでいい。まあ、
「明るいとは言えぬ、彼の声質」
 というのには別段、違和感はない。明るさ、暗さ。どちらもあるもののどれにより反応するかはもう聴き手次第。いい歌手ほどその振れ幅も大きいのではという気もしますけれども、『お富さん』での歌声が、
「ドスが利いていて陰々滅々」
 というのにはさすがにそれはちょっとねえ、と思います。春日八郎が多少はドスの利いた声──凄みのある低音も使い出したのは、知る限りでは、'60年前後になってから。'69年の再録音ならいざ知らず、'54年のオリジナル・ヴァージョンについてなら、


「明るい、屈託のない前奏にのって、声を声として聴かせれば足りるといったふうに、春日はつとめて軽快に歌う」──朝倉喬司『遊歌遊侠』

 または、

「こういう音楽では、歌詞の意味に添って声の表情を逐一変えたりするより、美声でリズミカルに歌い、艶っぽく迫るべきで、もちろんこの歌手はそれをわきまえている」──吉田進『パリからの演歌熱愛書簡』

 この方が遥かに頷ける。
 著者の南原四郎は1946年生まれ。『お富さん』の流行時の記憶があってもおかしくない年ではありますが、もっと後年のテレビでの声の記憶が上書きされたためなのか、感じかたの違いとだけ見るべきなのか。
 それもよくはわかりませんけれど、寂寥、暗澹派の一方の雄、佐藤禀一の場合なら間違いなくあとの方。彼の心の目には、一本杉に寄り添う石の地蔵には「血の色をした前掛けが巻かれ」、吊橋で鉄砲打ちを見上げる「老犬の目は、赤くただれている」と映るのだし、その耳には、「絶望の淵のような高音の微細なビブラート」が「孤独感」を震わすものと響くのですから。『お富さん』にしても、三番の「地獄雨」に到る歌詞(と、たぶん歌唱)を暗澹としたものと受け取っている。また、そういった暗いイメージにこそ惹かれる人らしいのですね、彼は。
 ほんとうに、人はそれぞれ。
「艶っぽく迫る」と、「これ以上はない生真面目な歌唱法」にしたって大した違いようです。
 世相との取り合わせをどう見るかにしても、
「このくらい世の中が暗いと、このくらい明るいものでないと闊歩できないだろう、という思い」
 を阿久悠は抱き、菊池清麿は、
「日本の経済は復興の兆しを見せていた。『お富さん』の大ヒットはもう目の前にきている高度経済成長への離陸に相応しかった」
 と書く。同じ年に一人は十七歳、一人はまだ生まれてもいないにしても、これも、ずいぶんな違い。
 ちなみに'54年、または昭和の29年は、第五福竜丸の被曝事件、洞爺丸の沈没、釧路での炭坑爆発、岩内大火とこれでもかとばかりに凶禍の続く年。造船疑獄の発覚及び隠滅、自衛隊の発足もまたこの年で、翌年からは、日本は高度経済成長期に突入──なんていうのは、無論ただの受け売りで、燎原の火の如くといわれた歌の流行同様、私自身の記憶にはなにも残ってはいません。

 それから37年ののち。
 当時創刊三年目だったAERAの追悼記事の見出しは、「土の香り失わない都会的ダンディー」(右肩に小さく、「『お富さん』の死」)というものでした。文末の署名は、編集部・木内宏。
 写真付きで一ページを割いた本文では、「一見じつに都会的なダンディー」でありながら「実直、純情、土の香りを身につけた田舎青年の雰囲気を失わなかった」と同様の趣旨が敷延され、さらに、
「男くささの中に甘さを秘めた声」
「洋風と和風、洗練とどろ臭さ」
 と列挙して、相反する要素の「巧みな混合」がファンを惹きつけたと分析します。
 たしかにネットを見ても、ある人は庶民的で泥臭い、と言い、ある人は洒脱、上品で都会的だと評していたりする。そのどちらかだけなのではなくて、両方。複数ある二面性こそが魅力だという分析で、なるほどねと納得させられる(「刃物でつけたようなえくぼの魅力」なんていう表現もうまいものだなあ、と感心していたら、今は作家として活躍中とのことでこちらにも納得、なのでした)。
 ただし『お富さん』について、
「単純構造の曲が、凄みのある彼の小節唱法にかかると、とたんに陰影と深い味わいをおびた」
 と書いているのは、やはりのちの記憶の上書きではないかという気がします。オリジナルのヴァージョンでは小節らしい小節はそう聞かれませんし、ビブラートでさえ耳に残るほどじゃない。
 でもまあ、錯覚も込みで、上書きの層を幾重にも持つのが真っ当な記憶、生きた記憶というもの。
(同時代にいあわせた、みたいな実感のある記憶だろうなあ)
 と、すでに過ぎた年月を大急ぎで後追いする私としては、ひどく羨ましく感じたりもするわけなのですね。

なにかと物入りな日々
── 2017.2.23記 ──

 少し戻って、昨年の暮。
〝そのほか〟のヒット曲はyoutubeで大体聴いていた。生まれた町は坂の下と書いてバンゲと読むのも知った。でもCDはまだ持っていなかったという時分の話です。
 ものにはまるということは、多くの場合物入りなことでもあります
 持ち歌だけでいいのなら、当面はベスト盤が二枚でもという気もしますけれども、股旅の二曲が良かったし、youtubeの『目ン無い千鳥』もねとなると、その手のもののカバーももう少し聴きたい。 
 もともと、相当好きなんですね、そういう昔の歌が。まあ、『お富さん』にしたって半世紀以上昔の歌ですけれど、さらにもっと前の歌、たとえば大村能章、阿部武雄、佐々木俊一が書いた歌の類い。
 嬉しいことに、その辺のものもどうもかなり歌っているらしい。ただし、聞きたい歌がこちらのCDに数曲、あちらにはまた数曲と散っている上に、その多くは廃盤です。ボックスは高いし、なんだか半端にダブりが多い。前記の通り、単曲でのデジタル化はないに等しく、まず一つ買って別途で買い足すというわけにもいかない。
 この際、カバー・オンパレードの『昭和歌謡を歌う』を中古で買って、ベスト盤を買い足すか、それともオリジナルも収録の『神髄』(これももう廃盤)を探してみるか。
 決めかねているうちに『神髄』がずいぶん安くヤフオクに出たのでえいと落札。一応は聞いたつもりのオリジナルはあとに回して、まずはカバーから聴いた。
 このボックスは、カバー曲の選曲がちょっといいのです。
 阿部武雄では『妻恋道中』『流転』『裏町人生』とあともう三曲。大村能章のは『旅笠道中』『小判鮫の唄』の二曲。佐々木俊一がないのはちょっと残念ですけれど、古賀政男も『目ン無い千鳥』に加え、『男の純情』『女の階級』と私が好きなタイプの方の歌が選ばれている。
 曲は、ほぼどれもをよく知っている、春日八郎の声も歌い方ももう飲み込めてはきていますから、あそこをさあどのように、と待つ間が楽しく、聞けばいい打率で予想よりいい。あれれ? という場合もたまにはまあありますけれどもね。
『女の階級』なんか、出だしの「君に」の「み」ですでに嬉しくなってきて、少しあとの「弱い」──正確にいえば、「よーォわーい」の「ォ」ではもう、ダハハ、という状態。そう、そう、こう歌ってほしかった、この曲はとも、こういう歌でこの声を聴きたかったとも思い、つい、
(『昭和歌謡』に入っているあの歌とかも……)
 物入りな方向へと思考が傾くわけなのですが、それはもっとあとのこと。次に聴いたのは無論「オリジナル・ヒッツ」の一と二でした。ところが、声が、イメージ──漠然とは以前から、今では確固として持っている〝春日八郎のあの声〟のイメージとはずいぶん違う。同じ曲でも、youtubeで聴いていたのよりも高いしなんだか細い。
 同じ人の声だと聞こえ出すのは、七曲目の『お富さん』、次の『裏町夜曲』の辺からですが、たしか、『お富さん』は'54年の大ヒット。『裏町夜曲』の方はと安易にウィキペディアで調べれば、これも同じ年。同サイトには、はまるきっかけとなった『妻恋峠』は五五年、つまり、『別れの一本杉』と同年の五月に発売とあり、やはり、なじみのあの声になってくるのは五十年代半ば以降であるらしい。それでももっとあとのパイライトがキラキラッ
(*)、という感じ、エッジがピッと立ったあの声にはまだなっていない。

(じゃ、youtubeで聴いてたあれっていつの声?)
 かなりまた検索をして、『ステレオ録音によるヒット曲集』というのの商品説明欄に「昭和四〇年代に再録音」とあるのをなんとかみつけたものの、その十年のいつにどの曲が、とかいうのは全然わからない。わかったのは、再録音でのベスト盤もいりそうねというのぐらい。
 幸い、これもヤフオクで安くみつかって、二枚を落札、その際に目に入ってしまった自伝
(『ふたりの坂道』)もついつい落札。読んで聴き、聴いてはまた読む間に、不思議と感じたことが二つありました。
 一つは自伝の中の記述で、浅草で初めて見た藤山一郎ショーに、
「ハンマーで頭をなぐられたようなショック」
 を受けるその日まで、ただ一つのエピソードをのぞいては、歌とはまるで縁がなかったという件。正規には習っていなかったとか、そのレベルの話じゃない、音楽自体、歌自体との接点がほぼない。歌に聴き入った、憧れたという記憶もとくになければ、歌って人にほめられた経験さえ一度もないらしい。ショーを見たときはすでに十七歳に近い。そして、心は身にも添わずとなった三日ののちには、
「とにかく、音楽で身を立てよう」
 と心を決めてしまう。音楽学校もすぐに探してすぐ受けて、合格となると、二年通った工学校の方は中退。その間、わずか半月足らずです。出遅れの度合いも、動く速度もなんだか凄い。
 本を閉じて聴き入りながら、
(だって、こんな、めちゃめちゃうまくてとんでもなくいい声よ?)
 凄いような話じゃないの、なんだかね、と私は思います。こうなり得る潜在能力には周囲のだれ一人として気がつかず、本人も知らぬままにただ年月が流れたことも、それでも、間に合うぎりぎりぐらいのタイミングで機会にはめぐり合うことも。
 音楽そのものに純粋に感動しての決意だったというよりも、
「多くの人を集め、魅了する……あんな存在になることが、世に出、金を稼ぎ、現在の貧しさから脱出する最も近道と思った」
「金が欲しかった。スターになれば金が儲かると思ったのだ」
 と、〝主な動機〟について彼は書いている。韜晦でも偽悪でもなく、それもほんとのことなのだろうなあ、とは思いますけれども、ほんとうのほんとうは、自分ハアソコニイルベキ人間ダとわかってしまったからじゃない? どういうか、なにものかが空の上から──または、常磐座の天井から降ってきた、とでもというように。
 そんな想像をとくに根拠もなく私はしてみています。突然、かつ理不尽なその啓示を正当なものとみなすには、
(もっと現実的なように見える、べつの動機も必要だったというだけで……)
 と。これも、貧乏というほどの貧乏は知らずに育ったものの甘い想像かもですが。
 長くなりました。もう一つの不思議の話は次の回

(以上、文中敬称略) 


*パイライトがキラッについて
 ご存じのように、ターコイズ・ブルーはやや緑に寄った明るい青です。ただし、名のもとの石の方にはもっと濃い青、緑色等いろいろとあり、ベタ一色だけとも限りません。またしばしばリモナイト(褐鉄鉱)、パイライト(黄鉄鉱)、石英等のマトリックス(母岩の部分)を伴います。
 たとえば最も高価なターコイズ、ランダーブルーは濃青色で、蜘蛛の巣状のマトリックスがとても細かく入る石。これも高価なモレンシにはパイライトが不規則に入って、磨くと、ちょっと凄いような銀色にギラリと光る。パイライトが云々はつまりその感じ。で、初期の声には、マトリックスがあまりないみたいな感じ。



*左から右へ
キングマン(マトリックスなし)、ランダーブルー(リモライトの蜘蛛の巣状マトリックス)、モレンシ(画面左方にパイライトのマトリックス)

タイトルは色川武大の名エッセイ、『唄えば天国ジャズソング』から拝借しました。



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